青島神社(宮崎市)前編

 

神話の世界

宮崎県はニニギノミコトが

高千穂峰へ天孫降臨し、

日本を作り始めた場所。

(鹿児島説もあり)

大和政権の都合に合わせて

作られた物語という部分を

差し引いてもクライマックスが

複数出て来る壮大な神話は、

僕たちを魅了してくれます。

そのクライマックスの一つ、

山幸彦、海幸彦の物語の舞台が

ここ青島神社と青島です。

参道

橋を渡って青島神社に行く前、

まずは、青島の外観を満喫しました。

この風景だけで、

神々しいものです!

参道の先に見えるのが、

青島神社が鎮座する青島です。

弥生橋の手前から、

鬼の洗濯板も入れて動画も撮影。

青島到着。

青島神社の社号標他、案内。

「宮崎の神話」。

「木花佐久夜姫の出産と木花神社」

「青島・木花は海幸彦、山幸彦の

遊び場だった」

このように親子と兄弟神について、

現在の場所と照らし合わせて

紹介されています。

両部鳥居と鬼の洗濯板。

鬼の洗濯板から見た鳥居と社頭。

砂浜へ。

境内入口の狛犬が、

めっちゃカッコいいのです!

阿形。

一部の隙もないくらい

躍動感溢れ、まさに秀作。

吽形。

こちらも阿形に負けず劣らず、

強そうですね。

さらに参道を進みます。

参道右側の龍神様にご挨拶。

青島神社について。

御祭神は、

天津日高彦火々出見命(山幸彦)

豊玉姫命(山幸彦の妻)

塩筒大神(山幸彦を海宮に送った神)

御由緒には、

「彦火々出見命が海宮からお帰りの時、

御住居の跡として、

三神を祀られたという。」

また、境内については、

「昔から霊地として一般の入島は許されず、

藩の島奉行と神職だけが常に入島し、

一般は旧三月十六日島開祭から

島止祭(同月末日)まで

入島を許されていたが、

元文二年(1737)

当時の宮司長友肥後が、

一般の参拝者にも入島を許されるよう

藩主にお願いして許可され

以後入島が自由になった。」

このように書かれています。

手水舎。

自然石の手水鉢。

柄杓を使える有り難さ、

神社さんに感謝です。

セルフ修祓(しゅばつ)も完備。

御社殿

手水を終えて神門へ。

神門。

神額の文字は、「鴨就宮」

「かもつくみや」と読みます。

以前の青島は、鴨就島と呼ばれていて、

これは、島の周りに鴨が沢山いたからとか。

これは日本書紀の山幸彦の物語中、

豊玉姫が出産時、夫、山幸彦に

正体(サメまたは龍)を知られ、

海宮に去ってしまった後に

山幸彦が豊玉姫を思って詠んだ歌、

「沖つ島 鴨づく島に 我が率寝し

妹は忘らじ 世の尽も」

ここからきたお話かと思います。

拝殿にて参拝。

打ち出の小槌的なおみくじ。

御縁維ぎ。

拝殿向かって左の境内社、「石神社」。

社殿前の、おもかる石。

右側の境内社、

海積(わだつみ)神社。

ここでツーショット完了。

この後は、ジャングル(笑)に入り、

元宮へと向かいます。(後編に続く)

 

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