2021/11/10

金毘羅宮(山口県下関市)

 

海の守り神

近代捕鯨発祥の地でもあり、

マルハニチロ、日本水産(ニッスイ)

などの創業の地でもある下関。

やはりここには海の神様は必須です(笑)

おそらくその大企業の偉い人や

船員たちも多く参拝したであろう

金毘羅宮ですが、

僕は知りませんでした(汗)

たまたま、櫻山神社に行く途中、

「金毘羅宮交差点」の

標識でしったのです。

しかし、知ったからには

いかねばならぬ(笑)

急遽、予定に入れ込んで

参拝を果たしたのです。

金毘羅宮へ

朝一番に参拝した櫻山神社から

車で、ほんの数分の距離にある

金毘羅宮に到着。

なんか良い雰囲気。

と思ったら目の前には御神木が。

しかし、所有者はお寺。

お寺の境内に入り、

大イチョウを撮影。

おそらく、江戸時代までは、

神仏習合の場所で、このお寺と

金毘羅宮は同じ敷地内に

あったのでしょう。

その証拠が(証拠が必要か?…笑)

いくつかありました。

仏教的な文字が書かれた

大きな石。

お寺の境内にある

金毘羅宮への裏参道。

文政五年の文字が刻まれています。

西暦だと1822年、

江戸時代の末期ですね。

やはり金毘羅様は海の神様、

昆布漁を生業としている

方々からの寄進です。

そして、神社参道右横にあるお堂。

敷地は古い感じですが、

これは再建のようです。

昭和11年の寄進です。

明治の神仏分離令で

取り壊されたお堂を

再建したのかもしれません。

二の鳥居。

阿形(推測)の狛犬。

吽形(推測)の狛犬。

金毘羅宮の石垣は

なかなか立派です。

石段を登って社殿に向かいます。

ここの風景は動画の方が

解り易いので動画も撮影。

御由緒書きなどが見当たらないので、

正確なことは言えませんが、

江戸時代にはこの階段も

石垣もあったような感じです。

神門をくぐると拝殿が見えてきます。

拝殿。

手水舎。

文政二年(1819年)の狛犬(阿形)。

吽形。

金毘羅宮らしく拝殿には

「金」の文字が!

金毘羅の金ではなく、

金太郎を想像してしまう

僕でした(汗)

左が拝殿、右奥が本殿。

ここも動画がわかりやすいので、

撮影しました。

さすが、海の近くの高台だけあって、

風の音がビュービュー聞こえますね(笑)

そして、境内社へ

三徳稲荷神社。

ここも石垣の上にあります。

左が、三徳稲荷、右が三鬼大権現。

鬼が三匹?

ご由緒は書いていないので、

勝手な想像です(笑)

三徳稲荷の左側にあった石塔。

殉職船員の碑。

やはりここは海の神様です。

木陰にひっそりと

錨が奉納されていました。

境内社。

すっきりした狛犬。

寛政12年(1800年)の作。

すでに200年も経過しているとは、

凄いですね!

吽形。

石工、徳次郎の作です。

扉を開けると、

淡島大明神でした。

折上天井で豪華な

造りになっています。

これで境内社も参拝完了。

あとは…

「金太郎の金」いや

「金毘羅の金」の前で

ツーショット(笑)

帰りはお寺の境内に通じる

裏参道から。

神仏習合の江戸時代以前は、

社僧がいたりして、

ここを行き来したのかもです。

石畳の古さ、

いいですね!

こんな巨石もあります。

大きさの比較には持ってこいの妻(笑)

最後に隣接するお寺にもお参りしました。

延命地蔵。

今日の不思議発見

境内の端っこにあった石柱。

左 金毘羅宮

右 きた○○

文久三年(1863年)の建立。

いったいこれは何でしょう?

道しるべ…なのか?

謎のまま神社を後にした僕たち、

今もやはり謎〜〜(笑)

 

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Comment

  1. 冨田誠 より:

    三徳稲荷と三鬼大権現の間を通って裏に行ったらちょっとした山道があり金毘羅公園に続けてます。
    撮影したつもりが撮影出来てなかったので近い内に再度撮影に行こうと思ってます。

    • tabibito1722 より:

      冨田様、コメント
      本当にありがとうございます。
      三徳稲荷から金比羅公園へ行けるのですね。
      次回の撮影も楽しんでください!
                  管理人 山本

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