若宮八幡神社(福岡県うきは市)後編

 

神社と古墳

若宮八幡神社の境内には、

二つの古墳があります。

もっとも神社の創建よりもはるか昔に

古墳は出来ていたので、

厳密に言えば、

2つの古墳の真ん中に神社を

作ったとういのが正しいでしょう。

いづれにしても神社境内にあったり、

福岡県糸島市の櫻井神社の岩戸宮や、

同じ福岡県福津市の

宮地嶽神社の境内社ように本殿として

古墳が存在する例は全国において

かなりあるのではないかと思います。

何故そのような事例が多いのか?

僕の勝手な推測ですが、

古墳の埋葬品などは、金品として

価値が高いものもあり

盗掘などの被害に遭うリスクも

大いにあるのを回避というか、

その石棺や埋蔵品などを守る意味でも

「神威」というものが大切だったから

古墳は神社の境内や

本殿になったというものです。

Wikipediaによると

実際にここ若宮八幡神社でも

江戸時代後期に発掘された副葬品は、

代々宮司さんによって大切に保管され

現在では国の要文化財となっています。

やはり推測は近いかもですね(笑)

石橋その1

若宮神社で、

御社殿周辺以外の目玉は、

2つの古墳かも知れませんが、

それ以外にも僕にとっては

大いに楽しめるものがあります。

本殿裏の境内図には

神社両サイドの古墳と、石碑のみが、

オススメスポットのように描かれています。

この他、肥前鳥居や青銅製狛犬など

魅力は盛りだくさんなのに

紹介しないなんて、勿体無い(笑)

そんな紹介されていないスポットも含め

ここから改めて散策開始です。

天満宮・・・

とは書かれていませんが、

石祠の扉の「梅のロゴ」を見れば

一目瞭然ですね。

そして、この先にあるのが、

かなり大規模な石橋です。

遠目からの石橋。

神苑橋と名付けられた石橋は、

江戸時代末期~明治時代の

建立ではないでしょうか。

石橋その2

池には二箇所3つの石橋があり

もう一箇所が池の南側に架かっています。

「神幸橋」

欄干のデザインが近代的なので、

明治~大正時代の建立かも?

全部推測ばかりですが、

そんなことさえも

楽しい石橋めぐりなのです。

月岡(つきのおか)古墳

石橋の近くには月岡古墳があります。

月岡古墳遠景。

前方後円墳の「後円部」墳丘上の

石室の天井石を礎石とした

文化三年(1806年)建立の祠は、

災害のためか、

立ち入り禁止になっています。

案内。

国指定遺跡で、発掘されたものは

国指定重要文化財となるほど

貴重な古墳です。

下から祠に参拝。

石橋その3

月岡古墳から境内反対側の

日岡古墳へと向かう途中、

またもや石橋を発見しました。

かなり古そうですね。

江戸時代の建立は、

間違いない?(笑)

日岡(ひのおか)古墳

日岡と月岡という2つの古墳を

名付けた人は、

天照大神(日の神)と

月読尊(月の神)を

思い浮かべていたのかも

知れません(推測だらけ)

ご社殿を横切って日岡古墳へ。

日岡古墳の前方部分。

案内板。

こちらも国指定史跡です。

古墳へ。

前方の部分には、

いくつかの境内社があります。

金毘羅宮。

左の灯籠には「外宮」と

刻まれていますが、

神社名は不明です。

神様はどなたか分かりませんが、

天明六年(1786年)寄進と

石玉垣には刻まれていて、かなり

古いもののようです。

後円部の石棺などがある上に

建てられた神社へ向かいます。

天保十三年(1842年)

寄進の鳥居。

狛犬は弘化二年(1845年)製。

吽形。

「伊勢宮」と書かれていますので、

やはりこちらが「内宮」で、

古墳の前方部分にあった

「外宮」と書かれた灯籠のある社殿が、

伊勢宮の外宮ということでしょうか・・・

とにかく推測しかありませんね(笑)

石室の上に建てられた入口。

石室は年に数回ほど

公開されているようですが、

行けない人にも

九州国立博物館のサイト、

装飾古墳データベースには、

分かりやすい写真が沢山ありますので、

ネット社会の利便性は

ここでも大活躍というわけですね。

伊勢宮横、石室入口の後ろにある

鐘楼を思わせるような建物。

観音開きの鉄の扉がありますが、

これが何なのかは分かりません。

古墳と関係がありそうな・・・

「塚明神」が2つ。

塚というのは古墳のことを

指しているのでしょう。

後円部から見た前方部。

境内色々

古墳を見た後は、

まだある見所を散策です。

境内社群の石祠。

歌手、村田英雄生誕地の石碑。

境内東側の風景の中に一つだけ

左端に灯籠が見えています。

お~!!

いきなり目に飛び込むのが、

基盤になった部分に多く彫られた

盃状穴(はいじょうけつ)。

ここまで沢山の盃状穴がある灯籠は

初めて見ました。

というか、盃状穴のある灯籠は

かなりレアなものです。

この灯籠は

安政三年(1856年)の寄進で、

平成14年、

正面の鳥居前にあったものを

道路設置工事の為、

ここに移転したと書かれています。

最後はこれで〆(笑)

いや~

それにしても中身が濃い過ぎる

若宮八幡神社でした。

 

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