太宰府天満宮・中島神社

 

お菓子の神様

太宰府天満宮の本殿を囲む

回廊の東側は、

小高い丘になっていて、

いくつもの境内社・末社が

鎮座しています。

木々に覆われていて、

神様が鎮まるに相応しい、

とても神聖な場所で、

ほとんどの参拝者は、

行かない(知らない)ので、

あまり人も見かけません・・

そして、

ここにはお菓子好きの僕たちが、

絶対に参拝しないといけない(笑)

菓子の神様を祭った

中島神社が鎮座しています。

ここに参拝すれば、

一生お菓子に困らないはず?

と言うことで、

仮殿参拝後は一目散に、

お菓子の神様へと向かったのでした(笑)

中島なかしま神社

回廊の外側を歩くと

見慣れない石造物に出会います。

「梅の種」納め所。

「古来より、天神さまが宿ると

言い伝えられております

梅の種を粗末にならぬ様に納める所です。

天保十五年(1844)正月建之」

梅の種を納める場所があったとは、

ホント驚きますね!

「文政十二己丑歳

奉再興 氏子中

大石垣二壇三十間」

今から200年近く前、

西暦1829年の丑年に

ここの石垣が54mほどに渡り、

再建されたという意味です。

どんな石垣かと見てみると・・・

うひゃ〜!

石垣の前は全部絵馬掛けですね。

でも下の段だけは見えているので、

これで200年の時を

感じる事にしましょう(笑)

石垣が途切れた所に、

中島神社への石段があります。

まずは由来を確認。

「御祭神は製菓道の守護神として

崇敬されている田道間守命たじまもりのみことである。

「日本書紀」には田道間守命が

第十一代垂仁天皇より

「非時香菓」(ときじくのかぐのこのみ)を

探し求めるように命じられたとの

記述がある。

「非時」とは時(季節)を選ばずの意で

「香菓」とは香り高い果実の意を表す。

田道間守命は遥々海を渡り

幾多の困難と苦労を乗り越えて、

ついに常世国で「非時香菓」を探し出し

急ぎ日本へ戻った。

しかし勅命を受けて

十年の歳月が経過しており

垂仁天皇は、田道間守命が帰国する

一年前に残念ながら崩御されていた。

そこで田道間守命は、

垂仁天皇の御陵に「非時香菓」を献上して

いつまでも嘆き悲しみ哭泣し、

とうとう死に絶えてしまった。

田道間守命の苦労を厭わず、

ひたすら目的の為に努力するお姿と

天皇様への忠誠心により、

故郷の但馬国(兵庫県豊岡市)に

中嶋神社として祀られることとなった。

田道間守が持ち帰った「非時香菓」は、

記紀には「今橘という」と記されている。

砂糖もなく、果物やその加工品などを

「菓」と呼んでいた古にもたらされた

菓子の起源とも伝えられる。

「非時香菓」の逸話により

田道間守命が菓祖とされ

崇められてきたのである。

当宮の中島神社は

昭和二十九年七月九州菓子業の守護神として、

製菓業に携わる多くの方々の希望により

文化の聖地たる当宮の境内に勧請され

九州分社として創建された神社である。」

ここでふっと思ったのは、

田道間守命と但馬国の「たじま」は、

双方同じ読みですが、

何か関係しているのでしょうか?

もしそうだとしたら、

兵庫県の北側は、

「お菓子の国」という事になります(笑)

本殿へ。

参拝。

菓祖田道間守命に敬意をはらい、

お菓子と一緒にツーショット!

これで、

お菓子に事欠かない人生を

送れるはずです(笑)

相輪とう

上段の末社群は、

遥拝にて済ませ(神様ゴメン!)

隣の相輪とうへ。

※「とう」の漢字が変換できない。

時々お寺で見かけるような・・

「相輪とう

「仏塔の新しい形式で

伝教大師によって伝えられ、

心柱が通り下から露盤、覆鉢、請花、九輪、

水煙、竜舎、宝珠の各部から成る、

享和二年(1802)に建立し

弘化四年(1847)再建、

千七十五年大祭記念として

東神苑より此の地に移転した。

我が国に八基あり、

九州には此の一基が現存し、

貴重な建築物である。」

八基あるということは、

もしかしたら

こちらもその一つだったのかも・・

徳川家光が発願し、

天海大僧正が建立した

日光、輪王寺の「相輪橖そうりんとうです。

以前ここに参った事を

妻は覚えているでしょうか?(笑)

参拝。

本殿裏周辺

中島神社参拝後、

本殿裏からさらに奥へと進みます。

「厄晴れひょうたん」

ひょうたんの中に願いを書いて、

ここに吊るすという祈願方法です。

野見宿祢碑。

以下、案内です。

「野見宿祢は菅原道真公の祖先にあたり、

わが国における相撲の祖神とされる。

その前にある力石は、

江戸時代若衆が力自慢をしたもの」

「松竹梅」

ここでは、

「梅」が最上級でしょうから

」の順かな?(笑)

筆塚に参拝。

以下案内です。

「菅公は、書道三聖と崇められ、

書道の神として信仰された。

筆塚は、使いおえた

自分の筆に感謝して納める場所で、

七夕揮毫会の表彰式の日、

筆塚祭が斎行される。」

書道を志してきた妻に

何らかのご加護があるかも

知れません(笑)

国指定天然記念物の夫婦樟。

「大正十一年三月に他の一本とともに

国指定天然記念物に定められた。

夫婦が寄り添って立つ姿に見えるので

この名がついた。

樹齢は千年から千五百年と推定される。」

このように記されています。

こちらが、

「他の一本」と記されたクスノキで、

回廊の西側(社務所側)にあり、

規模的に言えば恐らく

太宰府天満宮随一かも知れません。

そして、この後、

天満宮の一番奥に鎮座する

天開稲荷社へと向かいます。

(続く)

 

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