洞春寺(山口市・令和3年12月)

 

ヤギが気になるお寺

初めて山口市の洞春寺に参拝したのは、

令和2年の8月で、

今回は1年4ヶ月ぶりの参拝です。

当初、旅の行程に洞春寺は

入れていませんでしたが、

山口御屋形(山口城)を散策していると

いつの間にか、

洞春寺の山門近くに来ていたのです。

地図で見ると、お隣でした。

山口御屋形の散策案内にも、

洞春寺内に建つ

大内盛見(もりはる)の

お墓も紹介されていたし、

初回訪問時に出会った

「コロナ」という名前の「ヤギ」とも

再会したい気持ちもあり(笑)

急遽参拝と相成りました。

山門

車は山口御屋形に置いたまま、

洞春寺まで歩きます。

山門。

写真右奥には、以前訪問した

瑠璃光寺の五重塔も見え、

気分も高揚してきます。

山門正面。

案内には、

毛利元就の菩提である

洞春寺となる以前、

応永年間始め(1400年頃)

大内盛見が建立した国清寺

創建当時の山門と書かれています。

そして、山門裏にいるはずの「ヤギ」へ・・

居ない!

ヤギがいない・・・

しかも名前は「玉」に変わっているし・・・

まさか、

ヤギスープになったか?(汗)

ヤギが気になりながら

本堂への門に到着。

その時、

たまたまここにいた住職さんに

ヤギの事を聞くと、

「本堂前にいますよ!

可愛がってくださいね!」

とのお言葉が。

良かった~いたんだ~(笑)

本堂の右端にヤギがいた~!(笑)

住職さんに案内され、

ヤギの元へ。

以前の「コロナ」が名前を変え、

「玉」となったのか、

コロナの後継者が「玉」なのか、

住職さんには聞いていませんが、

まずはメデタシメデタシ(笑)

ヤギと戯れる妻(笑)

この後、

住職さんに犬も紹介してもらい、

お寺で動物園気分に浸った後、

ようやく本堂へ。

参拝。

大内盛見の墓

ヤギに出会えて安心した後は、

もう一つの気になるもの、

大内盛見の墓へ。

こちらは、

本堂向かって左側に建つ観音堂。

「国指定重要文化財

永享二年(1430)大内持盛を

開基とする滝の観音寺の仏殿を

大正四年に移設した。」(案内による)

この観音堂の右横に、

墓地への通路があります。

お墓入口前のお地蔵様。

墓の上の建物に参拝。

その後、目的の大内盛見の墓へ。

大内盛見(もりはる)の墓

案内を書き出すと、

「大内盛見は義弘の弟で、

義弘の戦死後

大内氏二十六代の当主となった。

周防、長門、豊前、筑前の守護職となり、

また、大陸とも交易を行い大陸色豊かな

大内文化興隆の素地をつくった。

応永十一年(1404)

盛見は今の洞春寺の地に

国清寺を創建して、

天下泰平の祈願所と

先祖代々の菩提を弔うところとした。

盛見は、永享三年(1431)

筑前で戦死したので、

この国清寺を菩提寺として、

この地に葬った。

この墓は無縫塔という形式の墓であるが、

室町中期の特色が

よく残っていて貴重である。

右側に並んでいるのは、

国清寺開山、透関慶頴

(とうかんけいひん)の墓である。

なお国清寺は、

毛利氏が防長に移封に伴い

毛利隆元の菩提寺として常栄寺となり、

さらに明治初年毛利元就の菩提寺

洞春寺となって、現在に及んでいる。」

このように書かれています。

「創建」と「開山」の両者のお墓が

並んで建っているのは、

珍しい気もしますが、

どうなんでしょう・・・

左が大内盛見、

右が透関慶頴の墓。

まずは、

無縫塔の大内盛見さんにお参り。

次に、

宝篋印塔の透関慶頴さんにも参拝。

国清寺一切経蔵の礎石

大内盛見さんの墓の

すぐ傍で見つけたのが、

こちらの案内です。

案内を抜粋・加筆すると、

「この礎石は、

(大内盛見創建の)国清寺の

経蔵の内部にあった

八角輪蔵の中心柱の礎石です。

安山岩の自然石で、

中央が深く盃状に彫られ、

穴の端から中央部に向けて

Y字形に溝が刻まれています。

現在の洞春寺の境内には、

もともと大内氏第26代当主、

大内盛見の菩提寺である

国清寺が建立されていました。

この礎石があった場所には、

その国清寺の経蔵が建てられ、

大内氏によって高麗版一切経が

保管されていましたが、

慶長七年(1602)に

毛利輝元により園城寺

(滋賀県大津市の三井寺)に

寄進されました。

(中略)

なお、園城寺にある経蔵は、

国指定重要文化財となっています。」

このようになり、

現在、園城寺にある経蔵も

写真付きで紹介されています。

これは凄い事を知りました!

ここ山口にあった経蔵を丸ごと、

滋賀県に移設しているのですから。

しかも400年以上も前に・・・

米軍の空襲で焼失した、

宮城県の仙台城大手門が、

佐賀県の名護屋城大手門の

移築だったとの説もありますし、

当時の移築技術は相当に

高いレベルにあったんでしょう。

織田信長が比叡山焼き討ちの時、

本陣とした三井寺ですが、

増々行きたくなってきました(笑)

礎石。

井上馨の墓

墓の散策中(笑)

見つけたのが井上馨の墓です。

お寺のご近所、「湯田」出身なので、

東京の墓の分骨で、

ここにも墓が建てられたようです。

参拝。

これにて、洞春寺及び、

山口市内の散策は完了し、

後は帰路につくだけです。

自分達土産

新山口駅の売店で買ったのが、

この2種類です。

たこ棒。

うに(入り)天ぷら。

最近の旅はつまみ系ばかり

買ってしまいます・・・

どちらも帰宅後、お酒とともに

美味しくいただきましたとさっ!

自分達土産もしっかり抱え(笑)、

新山口駅から帰路へ。

この旅最後の感動

JR古賀駅から自宅に歩いて帰る途中、

妻が川の中洲で見つけたのが、

こんな光景です。

ここは、白鷺たちの

寝床だったんですね!

サギちゃんたちを起こさないよう、

静かに撮影・・・

この旅最後の感動は、

めっちゃご近所でした(笑)

 

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