御岩神社(茨城県)本殿

 

時間軸

僕たちが御岩神社を参拝した日、

境内に入った時間は朝6時、

境内の開放直後です。

本殿など諸堂の扉は朝8時ごろ開かれ、

社務所が開く時間は朝9時でした。

ということで、

閉まっていたり開いていたり、

また、

雨が降っていたり止んでいたりと

時間軸がバラバラな画像を使っています。

但し、恐らく妻は、

そんな事など全く気にしないし、

忘れていると思いますので、

断りを入れる事も無かったかな(笑)

大日堂

神社に大日堂があるとは、

さすが、神仏習合のお社です。

参道の右側が先に参拝した

斎神社回向殿で、

左奥に見えるのが大日堂です。

大日堂に参拝。

「大日堂〜胎蔵界大日如来」

「当神社の大日如来坐像は

鎌倉後期の作と伝わり、

江戸期に於いては

「御岩大権現」のご本尊として

篤く信仰され、広く崇敬を集めていた。

明治期に入り

神仏判然令所謂神仏分離が断行され、

世は廃仏毀釈の嵐の真っ最中、

仏教的事物を悉く破却排斥、

又は強制移設等の憂き目にあっていたが、

本坐像は当時の氏子によって懸命に護られ、

神社にして仏像を祀るという

独自の信仰を確立し現在に至っている。

長きに亘り尊崇され、

幾星霜を経てもその御姿を留めてきた中で、

令和の御代に入り、江戸中期以来

二百有余年振りの大修理が行われ、

併せてより相応しく

威容を誇るところとして

大日堂の造替を成した。

堂内には日本画の大家

「浜田泰介画伯」により、

大作障壁画「日本の四季」並びに

天上画「宇宙」が奉納され、

森羅万象は大日如来の広大無辺なる

慈悲心に帰一することを表している。」

僕は今まで、「神仏習合が残る」と

表現してきましたが、

そうではなく、

「神社にして仏像を祀るという

独自の信仰の確立」

これだったんですね!

やはりここには

人々の力が結集されたからこそ

「独自の信仰」が確立できたはずで、

明治政府の強引な方針を

硬軟使い分けながら切り抜けた、

当時の人々の凄さを感じます・・

神社検定のテキストでは、

岐阜県郡上市の那比新宮なびしんぐう神社

神仏習合の残る神社の代表例として

紹介されていましたが、

御岩神社の「仏との共存」も、

実に素晴らしいと思います!

ただ、御岩神社はテキストに

載ってなかったような・・

僕の記憶が無いだけかな?(汗)

道がそれましたが、

案内の下部には、

障壁画「日本の四季」が

画像付きで紹介されています。

「秋月」

「峰雪」

「暁月」

アポロ飛行士や向井千秋さんが見た、

御岩山から発した光の柱は、

この岩だったのかも・・・

「花霞」

「残照赤富士」

お堂の扉が開いていなくても

こうして写真があることで、

本物を想像でき、

実に嬉しいことです。

手水舎

次に手水舎へ。

神橋の手前で仏像がお出迎え。

極楽に渡る橋のよう・・?

屋根付きとオープンな手水鉢が

参道の左右に安置されています。

めっちゃ清浄な水は、

多分、山水なんでしょう・・・

ここで妻の雄叫びが(笑)

「あれ、流れているよ!」

と指差す先を見ると・・

手水鉢の水が、

崖の上に溜まっていますね・・

手水鉢からの水は、

綺麗な水溜を通り、

さらにその下の小川に流れています・・

要するに僕たちの穢れは、

小川の水となり、

社頭で参拝した祓戸四神の元へ行き、

神様達のチームプレイで、

穢れは全て無かった事になる・・

勝手な思いつきですが、

これって、

めっちゃご利益ありますね!

妻の視点、グッジョブ!(笑)

拝殿・本殿

さらに石段を登り拝殿へ。

よく見ると、

石段は削り仕上げ(簾仕上げ)の

豪華版なのですね!

「霊峰御岩山」の提灯、

温かな光に癒されるな〜!

狛犬と拝殿。

参拝。

徳川の家紋にテンション上がる妻。

そしてここで僕たちに

感動を与えてくれたのが、

こちらの神額です。

なんと94歳の時の書ですよ!!

この人、偉いね〜と僕も妻も

しばし見入ってしまいましたが、

実はこの三木啓次郎さん、

94歳の書なんて吹っ飛ぶくらい

凄い方だったのです。

Wikipediaをコピペすると

以下になります。

「三木之次の子孫である

旧水戸藩士の三木家に生まれる。

1918年(大正7年)、啓次郎は

桜田門外の変を起こしたのち

逃走し自刃した

水戸浪士の霊を慰めるため、

大阪四天王寺境内を訪れた。

そこで二股ソケットを販売していた

松下幸之助と出会った。

経済的に困窮していた松下だったが、

話を聞いた啓次郎が

水戸の田畑を抵当に幸之助を援助した。

後に成功した幸之助は恩義に応えるため、

松下電器がスポンサーだった

ナショナル劇場で『水戸黄門』を放送し、

浅草寺の雷門、四天王寺の極楽門、

水戸の常磐神社境内にある

三木神社などに寄進した。」

ドラマ「水戸黄門」の裏話、

こんな所にあったのですね!

拝殿側面の龍神様。

拝殿から本殿へ。

本殿に参拝。

本殿左右の境内社

まずは左側から。

案内には

「元御岩山結界石像

姥神(うばかみ)

子育て 安産」

このように記されています。

お〜まさに姥神らしい風貌だ〜!

次に本殿右側に鎮座する稲荷総社へ。

狐さんじゃなく、

エビスさんと大黒さん自らが、

歓迎してくださいます。

合祀された五社のお稲荷さんが、

ここに祀られているので、

総社と名が付いているのでしょう。

「合祀」と書くと

つい、南方熊楠みなかたくまぐすを思い出します・・

明治政府の神社合祀の嵐に抗い、

地域に於ける氏神様の大切さや

無闇な森林伐採を諌め、

環境保護を説いた

粘菌研究で名を知られた生物学者です。

欧米列強に飲み込まれない為とはいえ、

近代化という大号令のもと、

人々の心は置き去りに

されたのかも知れません・・・

御神木

続いて拝殿前の御神木へ。

御神木を眺めていたら

妻が突然雄叫びを(笑)

「あれ、何かロケットの段みたい!」

そう言ったので、

見てみると・・

お〜確かに二段ロケットみたいに

なってますね!

宇宙飛行士とのご縁も深い御岩神社、

だから御神木もロケットなのか?

いや、

違ってました・・

実は二段ロケットに見えた部分から

幹が二又に分かれていたんですね!

御神木に感動後、

拝殿前でツーショット完了。

末社

拝殿から少し降りると、

トイレがあります。

素晴らしく清潔なトイレで、

僕も妻もスッキリ(笑)

トイレから帰還した妻曰く、

「綺麗な生花が飾ってあって、

気持ちよかったよ!」

という事で、

妻に花の撮影を依頼しました(笑)

妻撮影作品(笑)

そしてトイレから見下ろすと・・

いい光景ですよ!

そして社頭に向かい歩いていると

駐車場の奥に末社を発見。

行きがけには、

気づかなかったのですが、

何故か気になり参拝へ・・

弁天社(左)と阿夫利神社(右)

参拝した後、

猪の目(ハート型)の穴が

気になり覗くと・・・

弁天神社の祠の中に

「神」の文字が見えていますね!

御神体なのでしょうか?

気になりながらも

これにて御岩神社の参拝は完了です。

 

  関連記事 - Related Posts -

 

  最新記事 - New Posts -

 

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.