藤樹書院跡(滋賀県高島市)

 

ミエナイチカラ

四半世紀前(笑)

「ミエナイチカラ」という

B’zの曲がありましたが、

ある意味、僕たちは

見えない力に動かされ

中江藤樹という人物の

足跡を辿る旅をさせられています(笑)

今回の旅に全く無かった

「中江藤樹」というキーワードですが、

遂にというか必然というか、

藤樹書院という

中江藤樹の本丸に(笑)

導かれてしまいました。

藤樹書院跡

お墓から車で1分ほどで、

同じ人物の生まれた場所である

藤樹書院に到着です。

エントランス。

前には鯉が泳いでいて、

なんとなく津和野(島根県)の町を

思い出しました。

藤樹先生のことば(8)。

明治時代に再建された藤樹書院。

以前は茅葺きだったそうですが、

明治時代に火事で全焼したそうです。

出入りは自由。

室内。

藤樹書院の扁額。

宝暦十三年(1763年)ごろの書。

藤樹規。

藤樹規の説明。

仏壇。

下がり藤の浮き彫り。

藤樹先生の文机。

対馬藩(長崎県)に

伝わって来たものを

寄贈されたそうで、

三男が対馬藩に仕えているので、

その時、持っていったものかも

知れないそうです。

滋賀から、はるか遠くの対馬まで

こんな大きなものを持って行ったとすれば、

父への「愛敬」の念がそうさせたのでしょう。

左は、藤樹先生景慕年表。

右は、王陽明の書。

文政四年(1821年)に

佐藤坦がここに詣でた時の賛。

中江藤樹の像と掛け軸。

外に出て庭を散策。

広々としています。

藤棚。

藤樹先生邸跡。

案内。

中江家の門跡。

ここで熊沢蕃山が二夜座して、

入門を懇願したそうです。

三尺の泉。

案内。

「万里の海は一夫に

飲ましむる事あたわず。

三尺の泉は三軍の渇きを

やむるに足りるものなり」

大海は人の渇きを

いやすことは出来ないが

三尺そこそこの井戸でも万人を

いやすことが出来るという意味です。

石碑。

倉庫。

良知館

藤樹書院を見学後、

お隣に建つ

休息所兼案内所である

「良知館」へ。

中に入ってみます。

藤樹先生の足跡である、

米子の石碑と大洲の銅像の写真。

僕たちはどちらも偶然に(笑)

訪問済みです。

右側の「愛敬」という言葉、

胸に刺さりました・・・

敬愛ではなく、愛敬です。

案内には、

「親を愛するものは人を憎まず、

親を敬う者は人を侮らず」とあるように

親を愛し敬うのは

当然の尊い行為であって、

その心が広く人々に及んでゆくのです。

愛することと敬うことが人間にとって

何よりも大切であり

命を享けた親を思う心が、

その生命を受け継いでいく子を慈しみ、

人々への思いやりとなっていくことを

先生は「孝」の実践によって

身を持って世に示しました。」

このように書かれています。

僕自身、この言葉とは、

真逆の人生を送って来たからこそ

この意味が痛いほどわかるのです・・・。

「心象上小川図」

昔の小川村(この周辺)を

描いたほのぼのとした屏風絵。

漢詩。

年中行事とあゆみ。

昔の写真など。

今日の注目

書院で見た額。

これは、何とも言えず、

ユーモアを感じますね!

なんと書かれているのかな?(笑)

 

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