染井神社(福岡県糸島市)
神功皇后の伝承地
高祖神社で偶然知った染井神社は、
神功皇后の伝承地の一つでした。
福岡県には神功皇后にまつわる伝承地が、
これでかという程(笑)
各地に散在しています。
以前も書きましたが、
神功皇后は架空の人物で、
三韓征伐はファンタジーだ
という説を唱える学者もいる中、
福岡を中心に日本各地には、
行き尽くせないほど(笑)
数多くの伝承地(神社など)があるのは、
「存在した」可能性を意味するものでしょう。
また、間接的な「物証」としても
日本書紀に書かれている
百済からの朝貢品である
七枝刀(ななつさやのたち)の記述の
裏付けともなる奈良県天理市の
石上神宮に伝来した、「七支刀」や
現在の中国にある「好太王碑」などもあり
やはり類似する人物が「存在した」
可能性は高いし、
三韓征伐なども脚色はされていても
似たような事実はあったと考えて、
伝承地を巡るのが楽しいと思います。
神話は楽しむものですからね!
社叢
広い道路から山側に入ると
車一台分が通れるほどの道幅になり
少し行くと、池が見えて来ます。
お~なんと言う素敵な社叢でしょう!
ここから上ると御社殿です。
推定江戸時代に架けられた石橋。
少し怖かったのですが、
渡ってみました(笑)
また道路横の水路には、
古い石積みがあります。
この時、妻が、
水路から石垣をかわすように
伸び上がった杉の木を発見!
妻は行く先々で、こんな奇勝?を
探知する能力に長けているのが、
不思議です(笑)
神宮寺
御社殿に向かう前、池の反対側に
仏的な建物があったので、
引き込まれるようにそちらに向かいました。
今では「神宮寺」という言葉はありませんが、
ここで使うのがふさわしいと
神宮寺と書いています(笑)
神宮寺2つ。
神仏習合の時代からあるのでしょうか・・・
向かって右側のお堂。
梵字が書かれていますが、
意味はわかりません。
左側のお堂。
梵字・・・わかりません(汗)
御社殿へ
お堂にお参りして
ようやく御社殿へと出発。
石の太鼓橋がいい味出しています。
石段。
石鳥居はちょっとゴツい感じです。
手水舎の柱が一本なのが
オシャレですね!
拝殿。
中に入って参拝です。
格子窓から本殿が見えています。
いつごろの建物かは不明ですが、
木造のオープンなデザインは
ちょっと渋くて素敵です。
拝殿の左を歩くと本殿が見えてきます。
背後からは本殿敷地内に
入って参拝できるようなので、
神様にご挨拶しながら玉垣の中へ。
熊野三柱大神、豊玉姫命、
彦火々出見尊、息長足姫命、
玉依姫命の五柱が御祭神だそうですが、
左右の社のどちらにどなたがいらっしゃるか
わからないまま参拝。
本殿近くの石柱・・祠?
いつか何かのきっかけで
解明できるはずです・・・
ツーショットも完了。
鎧掛松(よろいかけのまつ)
こちらが、本殿裏側に屋根まで作って
大切に保管されている
神功皇后伝説の松の枯れ木です。
「鎧掛松」と書かれた石柱。
神功皇后が戦勝を占うために
鎧を水に沈め、
もし赤く染まったら勝ち戦、
染まらなかったらまたの機会に
戦うという「誓約(うけい)」をし、
結果、鎧は赤く染まり
兵士一同の士気は、
大いに上がったそうです。
その鎧を掛けて干したのが、
この松というのです。
いや~すごいものに出会えました!