92体の軍人像/中之院(愛知県)
ある意味「顕彰施設」
中之院に安置された92体の軍人像、
戦前に造られた当初から、
名古屋市にありましたが、
平成七年、この地に移されています。
この軍人像は、
全てが戦死された方の「お姿」を
かたどって出来ていているので、
ご遺族からすると
ただの墓石と向かう以上、
本人と再会するほどの
重みがあるかと思います・・
建立から80年以上経った今、
軍人像の方々が国や家族を守るべく
命を賭してくださった事を知り、
平和の尊さを心に刻む事のできる
ある意味「顕彰施設」として、
永く遺していって欲しいものです。
中之院へ
岩屋寺の駐車場からは、
徒歩で中之院へと向かいます。

ここを真っすぐ行くと
右手に中之院の入口が見えてきます。

入口に到着。
(実は裏口だった模様・・汗)

奥へ。
92体の軍人像
少し歩くと・・・

ありました!軍人像が!
この瞬間の僕と妻の口から出たのは、
「思ったより小さいね」でしたが、
それは手前のものだけで、
実際、奥の軍人像は大きいのです。
これらの像は、
昭和十二年から十八年にかけて
造られていますが、
戦争が悪化し、
物資が少なくなってから造られたのが、
手前の小さいもので、
大きいのはそれ以前、
まだ物資調達に余裕がある頃に
建立されたもののようです。
像の大きさを見るだけで、
時代背景も透けて見えてくる・・
深いですよ・・・

こちらは反対側から見た軍人像で、
高い崖の下に建っているのが、
よくわかります。
軍人像全体を動画で撮影。
次に、案内を確認します。

「中之院軍人像について」
「ここの軍人像のほとんどは昭和十二年
上海上陸作戦における
呉淞の敵前上陸で戦死された
名古屋第三師団歩兵第六連隊の兵士達です。
緊急の出動で名古屋城内の兵営より
名古屋港まで夜間十三キロの徒歩行軍の後、
船で野間沖に待機していた
巡洋艦、駆逐艦に乗り込み
わずか二十六時間で
揚子江河口付近に到着後の
昭和十二年八月二十三日の
敵前上陸でしたが、
上陸後半月足らずで
ほとんど全滅してしまいました。
軍人像そのものはめいめいの
ご遺族が戦没者の一時金をもって
写真を基に造らせ建立したものです。
昭和十二年から十八年のことと言います。
また戦後進駐軍が取り壊しを命じた際、
僧侶が、国のために死ぬということは
アメリカも日本も変わりはない。
あれを日本人の手で壊すことはできない。
どうしても壊すというなら
我々をこの場で銃殺した上で
あなた方が行って
壊せばいいだろうと頑張った。
おかげで像は壊されずに
済んだということです。
建立当時より
名古屋市千種区月が丘にあったもので、
当山には御縁により平成七年十一月に
お移しし、
この地で安住いただいております。
現在もよくご遺族、
ご縁者の方々が御参り
いらっしゃっています。
天台宗 大慈山 中之院」
言葉もありません・・・
人海戦術で兵士の屍を積んで戦う
日本軍のやり方(戦法とは言えない)は、
後の大東亜戦争(太平洋戦争)での
玉砕に次ぐ玉砕という、
大いなる悲劇を生みますが、
軍の上層部というのは、
自分の命は惜しいものの、
兵士は鉄砲玉で無(亡)くなれば、
補充すれば問題なし位の感覚で、
我が身のメンツしか、
考えていなかったのでしょう。
それとは真逆で、
進駐軍に命懸けで対抗し、
軍人像を守った僧侶がいらっしゃった事、
心に響きました・・・

昭和63年建立の歌碑。
以下、全文です。
「英霊二捧ル詩」
「きょうもさむい 雪がふる
われらは 無言でたっている
花はさけども ぼちはさかず
きょうもあつい 水はなし
かぜがつよい かれはがおちる
また冬がくる やどはなし
よろこびも かなしみも」
軍人像の気持ちというより、
ご英霊の魂の叫びという
感じでしょうか・・
「われらは 無言でたっている」
だからこそ
多くの方々に訪問して貰い
ここを知って欲しいのです。

まずは、左右に建つ軍人像の
真ん中の御堂へ。

軍人像の皆様が、
安らかなる事を願い参拝。
向かって左側の軍人像
ここからは、
ご英霊とご遺族へ敬意を持ち、
かつ祈りながら
巡らせていただきます。

われらは 無言でたっている・・・

正面。

軍人像に感謝しつつ労う妻。

本人そっくりなのでしょう、
皆さんリアルなお顔です・・

苔むした軍人像。
80年以上の年月を感じます・・・
向かって右側の軍人像
次に右側の大きな軍人像へ。

こちらは多くが台座付きです。

正面。

お一人お一人、
お顔も軍服も、それぞれですね。

目を見ると、
まるで生きているよう・・・

まだ子供のようにも見えます・・・

ワンちゃんがお好きな方
だったのでしょうか・・・

双眼鏡を持っているのは、
指揮官的な立場の方かな?

こちらは妻の身長(159cm)より
もっと高い軍人像です。

半身だったり、
足の部分が修復されていたり、
それでも今ここにあることが、
奇跡なのかも知れません。

大きな軍人像の右端に建つ、
日露戦争当時の慰霊碑にも参拝し、
軍人像を後にします。
本日の紫
軍人像を参拝後、
岩屋寺へ向かう途中見つけたのが、
こちらです。

中之院に咲いていたアジサイの花。
日本海軍の戦闘機、
紫電改が大好きな妻は、
「紫」にテンション爆上がりでした(笑)