朝暉神社(京都府福知山市)

 

明智光秀と共に

お城の中に神社がある場合、

その多くは、藩祖や歴代藩主などを

御祭神とする場合が多く、

ここ福知山城天守横に鎮座する

朝暉神社(あさひじんじゃ)も

その一つで、福知山城主、

朽木(くつき)氏を祭る神社です。

大河ドラマ「麒麟がくる」もあって、

明智光秀推しの福知山市ですが、

光秀と共に、

江戸時代前期から明治維新まで

200年ほどの間を統治した

朽木氏も忘れてはいけません(笑)

朝暉神社散策

福知山城天守などを堪能した後は、

同じ本丸内にある

朝暉神社へ参拝します。

朝暉神社側から見た天守。

境内へ。

鳥居前にある「鉄砲石」の案内。

案内によると

「万治二年己亥(1659年)に

鉄砲の名手、牧重郎左衛門の技量を

後世に伝えるため城主松平忠房が

建てた記念碑で、

移設や放置を繰り返した後、

天守閣再建を機にここに建てられた」

このような内容が書かれています。

ちなみに松平忠房は、

後に島原藩主になり、

そこで善政を敷いたそうなので、

鉄砲の名手を称える石碑などという

他ではあまり類を見ないものを作る

細やかな配慮がある人

だったのかも知れません。

鳥居右側の燈籠。

左側の燈籠。

柱部分には、

「愛宕山常夜燈」

「文化十二乙亥年十二月吉日」

このように刻まれています。

文化十二年は、

西暦1815年ですから

200年以上前に造られています。

また、愛宕山については、

城めぐドットコムという

お城巡りのサイトによると

「福知山城から東へ

1.5kmほど行った所に

「愛宕山城」というお城があり、

そこに江戸時代初期、

慶長十七年(1612年)

有馬侯が祠を現在地に遷座(創建)」

と書かれていて、

今もなお崇敬を集めているそうなので、

そこから移設された

常夜燈(燈籠)かも知れませんね。

鳥居をくぐって本殿へ。

手水舎。

朽木稙綱(たねつな)公

頌徳(しょうとく)碑。

朝暉神社の由来。

御祭神は、豊磐命。

豊磐は、藩祖である

朽木稙綱公の神号です。

二度ほどの遷座の後、

天守閣再建に合わせ

ここに鎮座しています。

参拝。

朽木氏の家紋、

「隅立て四つ目結」が

目に飛び込んで来るのは、

最近、家紋に興味を

持ち始めたからでしょう(笑)

流造の本殿を撮影して、

参拝は完了です。

 

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