銅(あかがね)資料館(足尾銅山)
思いを完遂
実に面白くかつ感動的な坑内展示に、
足止めばかり喰らった僕たちは、
後方集団に抜かされてばかりで、
なかなか前に進めませんでした(笑)
今思うと、
ガイドさんやボランティア案内など
ペースメーカーがいなかったのは、
幸いだったと感じています。
自分達だけで時間を主導でき、
思いを完遂できたのですからね。
資料館観覧
坑内展示の終点で待ち構えているのが、
足尾銅山の歴史やその内容を
コンパクトにまとめた銅資料館です。

入口(坑内終点)。

入ってすぐ右側の鉱山探検シアター、
「源さんの足尾銅山採掘紀行」。
丁度前の上映が終わった瞬間だったので、
展示に行く前、先に映像を見ることに。

僕たちは真ん中の特等席に座り、
待つこと数分、
あっという間に満員に・・・
映像を撮影するのは憚られるので、
モニター画面のみの撮影で我慢(笑)
映像の内容としては、
足尾銅山のあらましの紹介の後、
トロッコ列車に乗って、
採掘作業場に行き、
そこで作業員の「源さん」なる人物が
採掘作業や鉱脈の見つけ方などや、
その後の精錬など、
足尾銅山採掘における一連の流れを
素人向けにわかりやすく
説明してくれるというもので、
「源さん」には、
大いに楽しませていただき、
あっという間の8分間でした。

「横間歩立坑」
まさか、「間歩」の文字を
ここで見るとはビックリです!
江戸時代までの坑道が、
「間歩」と呼ばれていたのは、
石見銀山で知った事ですが、
明治以降の展示で、
「間歩」の呼称が使われているとは、
石見銀山を思い出し、
何だか嬉しくなりますね!
そして、
ここからの観覧は、写真と共に、
展示案内を書き出して行きます。

「運搬輸送能力の向上」
「足尾銅山では1884年(明治17年)、
鉱脈の採掘促進と通気環境の向上の為、
上下坑道を連絡する
立坑を貫通させました。」
「立坑ケージ」
「1890年(明治23年)には、
鉱山では国内初の
水力発電所と電気捲揚機を設置し、
鉱石の運搬に立坑ケージが使用されました。
その後、鉱石の他に
坑内労働者も輸送する装置となり、
運搬輸送力が強化されました。
立坑ケージが上下に動く原理は
今日のエレベーターと同じものでした。」
「電気捲揚機」
「1890年、有木坑内大立坑に
設置された電気捲揚機の形式は、
回転ドラム直径約2m、
鋼製ワイヤー直径約3cmを有し、
約2分間で重量2トンの鉱石を
有木坑道以下約150mの地点から
捲き揚げることが出来ました。」

ここでの主役は「安全専一」。

「安全専一」
「大正元年(1912)に、
古河鉱業の小田川全之
(おだがわまさゆき)氏は、
採鉱及び製錬技術と共に
アメリカから
「セーフティーファースト」の
理念を持帰り、
「安全専一」(あんぜんせんいち)と
訳した標示を足尾銅山坑道内外に掲示し、
安全運動を始めた。
これが我が国における安全運動の
創始とされている。
その後、皆さんが見かける
「安全第一」(あんぜんだいいち)に
なったとされる。
※標識は、ホーローで出来ており、
現存する枚数は、数枚とされています。
大変貴重な標識です。」
今の世の中って、
「安全専一」でしょうか・・・
コスパ・タイパと聞かない日はない位、
「安全専一」とは真逆に
突き進んでいる気がします。
人に心の余裕を持たせない、
ギリギリのコストで仕事をする(させる)、
公に報道される「事故」だけでなく、
社内、学校内、組織内で起きた
小さいけども重大な「事案」は、
星の数ほどあるでしょう。
「安全専一」、
今だからこそ心に響く言葉です・・・

横間歩立坑を見上げて撮影。
途中からは「絵」になっていて、
より高さが感じられます。
このアイディア、いいですね!

メイン展示室。

「通洞選鉱場
〜昭和40年代〜」
「通洞選鉱場の全景を復元したものです。
坑内からエンドレス斜坑を
経由して運ばれた粗鉱から
精鉱を回収する工場であり、
地形を利用した
階段状のレイアウトがとられていました。
これは大量の粗鉱を処理するため、
重力に逆らわず、
次の工程へ進める設計であったためです。」

「足尾製錬所
〜昭和40年代〜」
「足尾製錬所の全景を復元したものです。
選鉱場で回収した粗鉱から
粗銅、鋳銅を生産する工場でした。
近代的設備を備えた銅精錬工場と
副産物を精製する硫酸工場などから
構成されていました。」

「足尾銅山の鉱石」
「銅は一般的に単独で掘り出されることは
あまりありません。
多くは酸化したり、
鉄や硫黄などと結びついた形で
掘り出されます。
銅をおもに含む鉱物は、
およそ150種類が知られています。
ここ、足尾銅山でも
さまざまな鉱石が採掘されましたが、
それらの中から
代表的なものを展示しています。」
展示品の中から
気になったものを一つ・・・

「紫水晶」
こんなものまでもが
「銅」と結びついているとは、
ビックリですね!
さらに驚いたのが、
「水晶の中で紫水晶だけが
「宝石」とされる。他は鉱石である」
この案内フレーズです。
「ほうせき」と「こうせき」、
一文字違いで価値は大違い!(笑)

電気鉄道。

「電気鉄道の敷設」
「足尾銅山では、1885年
(明治18年)、
「本口坑〜製錬所」間に
ドゴビール式軽便鉄道を敷設し
運搬作業の効率化を図りました。
また、
1891年(明治24年)には
国内初の電気鉄道を
「本山〜製錬所」間に敷設し、
自家製の電車を使用し実用化させました。」
「ドゴビール式軽便鉄道」
「フランス人
パウル・ドゴビールが発明した
簡易軌道のことで、
鉄板の枕木とレールを固定した
軌道を傾斜地に敷設し、
上部に滑車を設け
ロープで荷物を積んだトロッコが
自重で上下するものでした。
この装置により
地形の段差が解消されました。
これはインクラインとも呼ばれ、
現代のケーブルカーの一種です。」
日本初の旅客電車は、明治28年に
京都で運行が始まったものですが、
既にその4年前、
足尾銅山には電車があったのですね!

「1t角鉱車」
「鉱石を運搬するために
使用していた鉱車で、
約1トンを積載する能力がありました。
また、坑内労働者も
この鉱車に乗って坑内へ向いました。」
これもビックリ!(笑)
以前、日光の半月山駐車場で見たものと
同じものですよ!

2年半前の妻と1t角鉱車。
鉱車横の膨らみが全く同じなので、
「同じ形式」と認定します(笑)
この時は足尾銅山を
遠くから眺めるだけでしたが、
その2年半後に現地で1t角鉱車に
出会えるなんて、
実に感慨深いものですよ!
ちなみに
この時見た足尾銅山がこちらです。

禿山になっているので、
すぐにわかりますね・・

「アノード板」

「これは電気精銅のために作られた
粗銅であり、
上部両端には粗銅の電解の際に
電極にかけられる鉤型の把手が
つけられていました。
さわってみましょう。重量:102Kg」

「銅インゴット」
「これは実際に型に入れて
製作した銅の塊です。
純度は99.9%前後、
重量はおよそ20Kgあります。」

「選鉱」
先ほどのジオラマ「通洞選鉱場」での
稼働内容が案内されています。

「自熔製煉法」
「足尾銅山では、1956年(昭和31年)
自熔製煉法をいち早く導入しました。
自熔製煉法は、フィンランドの産銅会社
オートクンプ社が発明した方法で、
乾燥した精鉱と溶剤を調合したものを
自熔炉(シャフト)の頂上から
余熱した空気(酸素)とともに吹き込み、
落下させます。
その酸化反応熱を最大限に利用して、
瞬時に溶解し、
銅(鈹)と鉄(鍰)とに分離します。
鈹の銅品位は60%以上と高く、
排ガス(亜硫酸ガス)は
すべて硫酸工場に導かれます。
なお、足尾で培われた
無公害方式の自熔製煉技術は
業界で高く評価され、
国内はもとより全世界で導入されました。」
そしてボタンを押すと・・・

お〜動いてる〜!
仕組みがバッチリ理解できますね!

「製錬」
こちらも先ほどのジオラマの製錬所での
作業工程が案内されています。

展示室からトンネルで出口方面へ。

「足尾銅山で採掘された鉱石」

鉱石の標本。

ここでの注目は、
「緑青は無害です」の文字。
あの銅の表面に緑青は、
有害と信じられていたのに、
研究の結果「無害認定」が
なされていたのです!
常識って時代と共に
変わるものですからね!

最後に
「銅山のあゆみ」をスルーして(笑)
観覧は終了です。

もうすぐ出口。
坑内展示と銅資料館、
ホント楽しかった〜!