延暦寺・横川(元三大師御廟)
みみょう
延暦寺の開祖、
伝教大師御廟の「御廟」は
「ごびょう」、
延暦寺中興の祖、
元三大師御廟の「御廟」は
「みみょう」と読みます。
これは読み方で、
二人を区別する意味があるようです。
こんな言葉一つとっても
延暦寺に大貢献した元三大師という方は、
特別視されてきたのかも知れません。
元三大師御廟
元三大師がスゴイ人だと知ったのは、
延暦寺に行く前に拝見した
「神社仏閣YouTuber 山田大雅」の動画、
「延暦寺に行く前の予習にぜひ!」
三部作の後編です。
戒壇院のブログにも書きましたが、
この動画と出会ったから、
延暦寺を三倍楽しめたと言っても
過言ではありません。
元三大師御廟は横川(よかわ)の外れです。
真っ直ぐ行くと
元三大師を祀った
元三大師堂(四季講堂)ですが、
その前に僕たちは左に折れて、
お墓を目指します。
まずは案内を確認。
「元三大師について」
全て書き出すと
以下になります。
「元三大師は僧名を
良源(912〜985)といい、
慈恵と諡(おくりな)する。
正月の三日に亡くなられたことから、
元三大師と称せられている。
近江の人で、少年の頃比叡山に入り、
早くから学徳抜群の誉れ高く、
将来を嘱望された。
五十五歳にして
比叡山の第十八代座主に昇り、
僧儀を改革し、学問・修行の興隆をはかり、
人材の育成に力を注ぎ、
比叡山の最盛期を築きあげたことから、
比叡山中興の祖と仰がれている。
門下三千人といわれ、この中からは、
我が国浄土教の祖とされる
恵心僧都源信をはじめ、
檀那僧正覚運、慈忍尊者尋禅、
兜卒僧都覚超など
幾多の名僧を輩出した。
大師は、ここ横川の地に住し、
優れた法力を以て、
種々の霊験を現され、仏法を守護し、
多くの人々を救い護り導かれた。
生まれながらにして
如意輪観音の化身と仰がれ、
今日なお除災招福、五穀豊穣、
善願成就を祈る
多くの人々より「厄除け大師」、
「角大師」として信仰を集めている。
また大師は、
我が国における「おみくじ」の
元祖としても知られる。」
YouTubeでは知っていたけれど、
改めて文字を読むと、
もの凄いお坊様ということが
伝わってきますね!
参道は修験道?(笑)
西国三十三ヶ所石仏第十一番「醍醐寺」。
急坂もあるんだ・・(汗)
西国三十三ヶ所石仏第十三番「石山寺」。
妻のラッキーナンバーは
「13」ですから
何かご縁があるやも知れません?
そして、少し歩き、
思ったよりもあっさりと(笑)
御廟に到着。
元三大師御廟正面。
まずは手水舎へ。
手水舎の先は崖のように
切り立っていて、
ここが比叡山の三大魔所の中で、
一番の魔所であることを
少し感じられます。
鳥居をくぐり中へ。
御廟に参拝。
「わしの墓は掃除なんかせず、
荒れ放題にしておいて良い」
みたいに言い残した元三大師さんですが、
そんなに荒れてもいなく、
むしろちゃんと手入れされています。
右から御廟の後ろにあるお墓へ。
ここにも鳥居があります。
墓域全景。
参拝。
一周回ってみます。
お〜これが墓石か!
なんとも素朴で、
元三大師さんらしさ満載ですね。
これは「石造卒塔婆」といい
元三大師が考案したと言われるそうです。
これを見ながら、
僕たちがここで思ったのは・・・
こんなものです。
新潟県長岡市の馬高縄文館で見た「石棒」。
元三大師さんの象徴みたいな石造卒塔婆、
これはある意味、
男性の象徴を模した石棒を作り、
祈りの対象としていた
縄文時代のはるか昔から
人の根源はこんなところにあり、
時代が変わっても同じなのかも?
なんて、こじつけのを推測して
楽しんでしまいました。
お墓に参った僕たちを
こんな気持ちにさせてくれる
元三大師さん、
やはり只者ではありませんね!
石棒・・
いや石造卒塔婆の背後から
元三大師さん目線で撮影。
今でも京都の鬼門、北東から
睨みをきかせてくれています!
今日の癒し
元三大師御廟からの帰り、
路傍に安置されたお地蔵様に
癒されました。
前掛けは二重、生花も瑞々しく、
大切にされている感が満載ですね!
元三大師さんの存在力に圧倒された後の
口直し的なお地蔵様、
延暦寺さん、なかなか粋ですな〜(笑)
(続く)