北海道神宮(札幌市)島義勇判官銅像
佐賀で知った札幌
150年前は無主の地であった札幌。
今では人口190万人を越え、
日本有数の大都市へと変貌しています。
そんな札幌の碁盤の目のような
美しい街並みは、
北海道の初代開拓判官だった
「島義勇」という佐賀藩の人が
構想した事を知ったのは、
7年前に訪問した
佐賀城本丸歴史館での寸劇でした。
こちらは7年前の記念写真です(笑)
(役者さんのブログ顔出し許可済み)
寸劇の冒頭、
右手前の島義勇に扮した方が、
「島義勇、知ってる人手を挙げて!」
観客一同誰も挙手せず・・・
「札幌、知ってる人手を挙げて!」
観客一同全員が挙手。
そんなやり取りで
一気に観客の心をグッと掴み、
島義勇を介して札幌と佐賀との
深い繋がりを案内してくださり
寸劇も涙が出るほどの感動ものでした。
僕たちはこの時、
札幌には島義勇の銅像が
二つも建てられていて、
市民から慕われている事も
合わせて知り、
その時からずっと
佐賀と札幌との繋がりを体験すべく
北海道に行く機会を伺っていたのです・・
島義勇判官銅像
北海道神宮に到着し、
まずは六花亭神宮茶屋店にて
「判官さま」という
島義勇にちなんだ焼き餅菓子を食べ、
次に
島義勇の従者だった福玉仙吉が、
佐賀の乱で斬首された
島義勇の冥福を祈念して
植樹した桜並木を感じつつ
参道を歩き銅像へと向かいます。
心地良い玉砂利を踏みながら奥へ。
重厚な造りの手水舎。
まずはお清め。
目指す銅像は、神門手前左手奥です。
「島義勇判官銅像建立の記」
少し抜粋すると
以下になります。
「島判官は、開拓の守護神として、
大国魂神、大那牟遅神、少彦名神の三神の
御霊代を自ら背負って剣難の陸路を踏破し
明治二年十月札幌に入り
三神を鎮斉する社地を
この円山に定めて、
新大社創営の大計を樹立し、
この地を基点として、
昔の平安京に倣って
雄大な札幌市街を計画した。
当神宮は昭和三十九年に明治天皇の
ご神霊を併せてご奉斎した際に
社名を北海道神宮と改め、
その十周年祈念事業として
この銅像を建てたものである。」
凛々しいな〜島さん!
少しアップ。
北海道開拓の強い意志を感じさせる
秀作ですね!
ドアップ(笑)
佐賀城本丸歴史館の役者さんにも
似ているような(笑)
横位置も撮影。
斜め前から。
お顔ドアップ。
この銅像とは思えない目力、
素晴らしい!
開拓三神の御霊代を背負った
後ろ姿にも隙は無し!
御霊代、ドアップ。
いや〜実に尊いお姿ですな〜・・・
余談
僕が書いた北海道の旅計画のメモに
「中野竹子」と記したのを妻が見て、
その人物が気になっていた妻は、
銅像訪問時、少し手前で、
細い竹の切り株で、
スネを怪我したのです(汗)
かなり痛そうだったのですが、
竹で怪我をした事で、
「竹子さんが呼んでいるね!」
なんて、
二人して大盛り上がり。
結果、
戊辰戦争で薙刀を持って戦い落命した、
中野竹子さんの会津若松にある
お墓に参る事に。
島義勇の「たけ」、竹の切り株の「たけ」
そして中野竹子の「たけ」。
不思議なご縁というのか、
ここで会津若松再訪が決まるとは、
何が幸いするのかは、
神のみぞ知る・・ですね!
(続く)