星宮神社(岐阜県郡上市)
円空さんの魂を継承
星宮(ほしのみや)神社のご本尊は、
虚空蔵菩薩です。
神社なのに仏様というのは、
珍しいですが、
江戸時代まではごく普通でした。
明治政府の神仏分離で、
全国多くの神社が
仏教関連のものを処分・移転した中、
ここ星宮神社が神仏習合を続け、
懸仏や御神体の仏像などを残した背景には、
星宮神社(粥川寺)を
拠点としていたとされる
円空さんの魂を
引き継ぎたいという気持ちが
強かったのではとも思います・・・。
菊間橋
菊間橋を渡るのが、
駐車場から参道への近道で、
橋の両脇には
円空さんに関係するものが
配置されています。
まずは右側の歌碑から。
「弓結ふ君か取矢の神ならは
納る御世の花かとそ見る
(円空和歌集832)」
「星宮神社には藤原高光による
「瓢ケ岳の鬼退治伝説」がある。
その縁起によると高光は
虚空蔵菩薩から与えられた矢によって、
鬼退治ができたといわれる。
円空はそれを歌にしたのである。
円空は、
星宮神社の別当寺である粥川寺で、
寛文三年(1663)に出家している。
円空にとって星宮神社や粥川寺は極めて
身近な場所であったことが分かる。」
橋の左側の円空街道の案内。
円空仏を彷彿とさせる
模像が雰囲気を盛り上げてくれます。
橋を渡ったところに立つ
「菊間御殿跡(高光屋敷跡)」の案内。
鬼退治をしたヒーロー、高光さん、
この辺りで暮らしていたようです。
参道。
社頭。
「星宮神社と粥川寺」
かなり詳しい解説なので、
全部書き出すのは断念(笑)
超訳すると以下になります。
「由緒
天暦の初め(947年頃)西の岳に
妖鬼が住み、人々を悩ましたので、
都より来た藤原孝光が妖鬼を退治したが、
亡魂が山に留まり、
再度、藤原孝光が来て、
虚空蔵菩薩に亡魂退治を祈ると
お告げがあり、南の岳で
大鳥を射落とし死骸を焼いたので、
その場所を骨原というようになった。
福部岳と名付け、
虚空蔵菩薩をおまつりした。
星宮神社に弓を納め、
矢を滝に納めたので矢納め滝といい、
渕を矢納が渕というようになった。」
「円空と粥川寺
円空は、寛永九年(1632)に
美並村瓢ヶ岳山麓で
生まれたと推定される。
寛文三年粥川寺で得度し、
以来粥川寺を本寺として
全国各地に出かけ
また戻ってくるという生涯であった。」
「ウナギの保護保存についてのお願い」
お願いを書き出すと、以下になります。
「大正十三年十二月粥川谷は
「ウナギの生息地」として
国指定天然記念物になりました。
住民は古くからウナギは
神のお使いとして大切に保護し、
現在も食べることはありません。
清流粥川谷を訪れたみなさんが、
四季折々の美を干渉すると共に、
ウナギの保護保存に
ご協力頂きますよう
お願い申し上げます。」
藤原孝光が妖鬼退治をした時、
山への道案内をしたのが
ウナギだったことから
このような風習となているそうです。
ここで蒲焼食べたい・・・
なんて考えたらダメですよ!(笑)
「円空の歌」
「星ジ祭る五門龍門玉なれや
今日より先は楽にけり
(円空和歌集747)」
「世をのかれ空にのぼりて在明の
福部の嶽に出る月哉
(円空和歌集568)」
案内には、
「円空は星宮神社に大切な
修法書等を遺している。」
と書かれています。
手水舎。
龍神様からお水をいただき参拝準備完了。
狛犬の先には御社殿が見えています。
拝殿、本殿。
右端は境内社。
拝殿へ。
拝殿のガラスに貼られた
御神体(本尊)、
虚空蔵菩薩の真言。
「オンタラクソワカ」。
これって、
昨年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で、
大姫がとなえていた真言ですね。
あれは虚空蔵菩薩の事だったのか〜!
一つ偉くなったかも(笑)
そのフルバージョンが、
ここに書かれた
「オンバザラアラタンノー
オンタラクソワカ」というわけです。
「本尊 虚空蔵菩薩」の扁額。
拝殿から本殿へ。
本殿と玉垣。
青竹に幣が掛けられていて、
ついつい、
頭を下げてしまいます。
「ここは結界ですよ!
ご神域ですからね〜!」
なんて神様のお言葉、
いや虚空蔵菩薩さんの
お言葉が聞こえてくるような・・・。
本殿に参拝。
本殿横の境内社。
境内社の手前には
宝篋印塔が建っています。
どなたかのお墓か供養等でしょう。
本殿前でツーショット完了。
この後は、境外摂社の神明神社と
矢納ヶ渕へと向かいます。