一の瀬神社(福岡県うきは市)
豊臣秀吉の遺産
歴史を学んで、
今に繋がる何かを発見することは、
実に楽しい事です。
そんな中、日本の陶芸の歴史も
興味深いものがあります。
文禄・慶長の役と称される、
豊臣秀吉の朝鮮出兵ににより
多くの陶工が朝鮮から日本にやってきました。
もちろん連行された人もいたようですが、
陶工たちの朝鮮での技術者は低い身分で、
奴隷的な扱いを
受けていた人もいたようですが、
大工や石工など、
技術者を尊敬する風土の日本では、
逆にその社会的地位は高く、
自分の感性を活かした物づくりを奨励され、
人々から尊敬もされ、
それ故、日本に住み着いた人も多く、
そして各地に窯元が出来たのでした。
この一つの事実でも、
日本の陶芸文化が大発展したのは、
間違いなく「豊臣秀吉の遺産」と
言えるでしょう。
秀吉自身は子供の秀頼に残した大阪城など
多くの遺産も全て大阪夏の陣で、
灰燼に帰しましたが、
その他大勢の人には、
こうして、陶芸文化という
日本が世界に誇れる「遺産」を残した
偉人だったといえるでしょう。
そんな秀吉の遺産が引き継がれているのが、
うきは市の名産「一の瀬焼き」です。
一の瀬神社へ
うきは市から隈上川沿いに
山あいに向かうといくつかの神社があります。
その下流域、一の瀬焼きの窯元が
点在する地域の一角に
一の瀬神社はあります。
境内入口。
社号標の彫られた大石。
社殿の向かい側には、
隈上川が流れていて、
こちらを背後にして参拝となります。
今は整備された河岸ですが、
元は、この川側から一直線の
参道があったのかも知れません・・・
拝殿へ。
阿形の狛犬。
吽形。
左が本殿、右が拝殿。
境内社には、
川の傍の神社らしく、
水神社もあります。
御祭神は不明の境内社。
角がとれた石は、
目の前の川のものを持ってきて
作ったような感じがしますね。
そして、この横で冒頭で書いた、
「元は、この川側から一直線の
参道があったのかも知れません・・・」
の回答を見つけました!
碑文にはこう書かれています。
「この石は、神社正面参道の
階段下水路に架かる大石橋で、
昔から多くの参拝者がこの石橋に願いをこめ
この石橋を渡りお参りしたものである
多くの人に踏まれた石を祀る事により
人々の繁栄を願いここに建立する」
そうか~!
やはり正面の川から参拝する
石橋が架かっていたんだ~!
どんな石橋だったんだろう・・・
きっと江戸時代からのもに違いありません。
河岸整備によって、
石橋は撤去されたのでしょうね・・・
最後は、少ししんみりした
一の瀬神社参拝でした。