防府天満宮(山口県防府市)後編

 

三田尻駅だった防府駅

防府天満宮の最寄り駅は、JR防府駅です。

この防府駅、明治時代に出来てから

昭和38年までは、

三田尻駅という名前でした。

僕が思うに、

佐賀県の三田川駅が、吉野ケ里公園駅と

改称したのと同じような

意味合いだったと思います。

どちらも「三田」繋がりというのが、

なんだか面白いものですが、

防府天満宮の「防府」という

知名度の高い名前を駅名にする方が、

観光客もより多く来る(多分)

という法則ですね。

あくまでも個人の推測ですので

的外れだったらあしからず(笑)

顕彰像

本殿に参拝してから境内社を巡り、

次は、神社裏側の

顕彰像へと向かいます。

長州藩7代藩主、毛利重就公の像。

財政を立て直し、産業の開発、

教育の振興をはかった、

藩中興の英主として、

顕彰されています。

右から「望東尼献歌碑」

「望東尼歌碑」、

野村望東尼の像。

案内によると

右は、討幕軍の戦勝祈願のため、

防府天満宮に7日参りし

毎日一首を手向けられたと

書かれています。

左は、有名な歌で、

高杉晋作との共作で、

高杉晋作が

「おもしろき 事もなき世に おもしろく」と詠むと、

望東尼が続けて

「住みなすものは 心なりけり」と

詠んだというものです。

そして偶然ですが、案内に書かれている

望東尼が流罪となった「姫島」を

僕たちは三週間ほど前に

この目で見ていました。

右側の富士山的な形をしたのが、

鎮懐石八幡宮境内から見た

姫島(福岡県糸島市)。

ここに望東尼が流されていたのか・・・

福岡の事を山口で知る、

これも旅の醍醐味でしょう。

石橋その1

望東尼の碑のすぐそばに、

素敵な石橋があります。

江戸期のものと推定。

コンクリなどの補強もなく

建設当時のままの橋脚。

もちろん令和の今も現役です。

茶筌塚

石橋を渡ると茶筌塚があります。

道具に宿る魂を

こうやって供養するという習慣、

素晴らしいと思います。

春風楼

御社殿向かって左奥に建つ

春風楼という大規模な建物を見学。

床下部分は、

4面懸け造りで、一階が、

吹き抜けになっている

ちょっと珍しい形です。

案内によると

元々は文政五年(1822年)

「五重の塔」を建て始めた所、

不慮の支障があり、建築は保留となり

その後、明治六年(1873年)、

今の楼閣様式として、完成したと

いうもので、一階部分には、

文政年間の五重の塔の部分が、

そのまま使われています。

その部分は、こちらです。

下を覗いた者だけが、

この凄い作りを堪能できますよ(笑)

一階。

素晴らしい彫刻。

ここからは、防府市内が

一望出来ます。

そして、神社境内側を見ると

何だか竜宮城のような建物もありますね。

そして、ここから見える筆塚が気になり

行ってみました。

筆塚

筆も供養されています。

筆塚。

書道好きな妻、

筆の神様のご利益はいかに?

筆塚から少しいくと裏参道があります。

ここから赤い鳥居を見た妻が、

「何かあるよ!」と教えてくれたので、

行ってみましたが、それは防府天満宮とは

別の神社でしたので、その話はまた次回。

そして、ここからもう一つの石橋を目指し、

元気に?歩いていくと

途中で見つけたのが、この石碑です。

「扶桑菅廟最初」

日本で一番最初に出来た

天満宮という意味だそうです。

石橋その2

先程見た望東尼像のすぐそばの

石橋とは社殿を挟んで

反対側の庭園に架かる石橋も

また風流な感じで目を離せません。

少し遠景。

安政二年(1855年)生まれ。

欄干の石の組み方が手前と

奥側とで互い違いにしてあり

とても趣がありますね。

そして、石橋の後は、巨木です。

樹齢300年くらいのクスノキ。

ここから社頭に戻ります。

石段を下りながら寄り添う二人。

相合い傘もいい感じ(笑)

最後に絵になる風景で

防府天満宮参拝は完了です。

今日の癒し

社務所前の木彫りのイノシシ。

亥年にちなんだものでしょう。

何とも愛くるしくて癒やされました。

 

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