岩屋城(福岡県太宰府市)

 

ラッキーカラー

妻はテレビやネットの占いが大好きです。

毎朝占いのラッキーカラーとされた色で、

その日の服装の

コーディネートを決めていて、

占いに興味ない僕からしたら

「全くよくやるわ〜」ってな感じで、

傍観していますが、

これが何故かよく当たるのです!

そのジンクスというか、

その引き寄せは、

岩屋城の登山口でも起きました。

白い彼岸花(曼珠沙華)と妻。

この日、

妻のラッキーカラーは「白」。

よく見る赤ではなく、

白い彼岸花のお出迎え、

ホント不思議ですね〜!

ちなみに妻は、

靴下も白を履いています(笑)

縄張図

岩屋城を書く前に、

この春、自宅の近所で開催された、

義の武人 高橋紹運(特集展示)」で

掲示されていた

岩屋城の縄張図を確認してみます。

先に行った高橋紹運公の墓は、

「伝二の丸」で、

これから目指す岩屋城は、

「伝本丸」になります。

この説明にも書かれている通り、

岩屋城は規模もさほど大きくなく

防御力としては弱い城です。

ここで粘りに粘って、

島津軍を引き付け、

命と引き換えに家名を守った

高橋紹運とその仲間達には、

言葉もありません・・・

本丸

お墓参りから〜の本丸へ。

本丸入口。

奥には路肩に停めた

僕たちの車が見えています。

「岩屋城跡(本丸跡)」

以下、案内です。

「岩屋城は16世紀半ば(戦国時代)

宝満城の支城として豊後大友氏の武将

高橋鑑種によって築かれた

彼は主家大友宗麟に叛き城を追われ

代わって吉弘鎮理

(後の名将高橋紹運)が城主となった

紹運は天正14年(1586)

九州制覇を目指す島津5万の大軍を

迎え撃ち 激戦十余日

秀吉の援軍到着を待たず玉砕し落城した」

紹運さんは戦いの場を、

背後の守りの堅い宝満城ではなく、

小規模な岩屋城を選んだのは、

宝満城には、

女子供を避難させていたから

道連れにしたくなかったというのも

一つの理由という説があるそうで、

その気持ち一つとっても

胸に迫るものがありますね・・・

登城路は「九州自然歩道」の一部です。

冒頭に書いた白い彼岸花のお出迎え。

妻のコーディネートと同じ白で、

「白着てて良かった〜!」と

僕たちのテンションは、

爆上げです(笑)

分岐=堀切ですね!

この案内一つで、

どれだけ安心できる事か!

さらに上へ。

ここも堀切っぽい?

もうすぐ・・・

本丸に到着。

そしていきなり出てくるのが、

こちらの石碑です。

「嗚呼壮烈 岩屋城址」

これ、ずっと見たかったやつです!

文字の一つ一つに

ここで起きた全ての出来事が、

凝縮されているようですし、

文字自体の迫力にも圧倒され、

ただの「岩屋城址」とせず、

「嗚呼壮烈 岩屋城址」と刻まれた事、

神がかっていますよ!

彫りがめっちゃ深い!

これは建立者の高橋紹運や

玉砕した城兵への

思いの深さでしょう・・・

裏側。

昭和三十年、

子孫の方が建てられたようで、

今から丁度70年前なんですね!

眺望案内。

この日は雲が多く、

あまり下界は見えていません。

まあ、こんなものです(笑)

本丸全景。

ここから頂上へ。

と言ってもすぐなんですが(笑)

距離は約30m位かな?

「岩屋山 291m」

本当かいな?と思うくらい、

あっけなく頂上に到達です。

頂上から見た小ぢんまりした本丸。

高橋紹運と城兵に敬意を払い、

ここでツーショット完了。

22カーブ路肩駐車場(笑)に到着。

ここから山を降り、

高橋紹運首塚へと向かいます。

 

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