常夜燈公園(青森県野辺地町)

 

「デッカイ奴」

青森市内から下北半島へ

約400Kmの日帰り旅、

予定を全クリするには、

道草なんかする時間はありません・・

しかし、

そんな僕たちを嘲笑うかのように、

その「デッカイ奴」は現れたのです!

しかも最初の目的地、

野辺地戦争戦死者の墓所を出発して、

わずか3分後・・・

そんな「デッカイ奴」とは、

そんじょそこらでは、

お目にかかれないであろう

復元された「北前船きたまえぶね」です。

勿論、

思い切り道草を食べたのは、

言うまでもありません(笑)

みちのく丸

常夜燈公園前を通過中、

「デッカイ奴」を発見!

「デッカイ奴」は常夜燈公園の一番奥。

常夜燈には目もくれず(笑)

一気に奥へと向かいます。

お〜これは凄い!!

テンション上がりまくりの僕たち、

早速、妻を入れて、

「デッカイ奴」の大きさを確認。

左前から。

「全長32m 全幅8.5m

深さ3m 重量約100t

帆柱までの高さ28m

千石積(質量t150t)」

案内を書き出すと、

「「北前船」は

江戸時代から明治期にかけて

日本海海運の主力となった廻船、

大阪から瀬戸内海、

日本海沿岸を経て蝦夷地に至る

日本海航路で活躍。

「北前船」の技術や歴史を後世に伝える

きっかけになることを願い

建造されたのが、

復元北前型弁才船「みちのく丸」です。」

このようになります。

ちなみに「弁才船」は北前船の

後期型で、「櫂」が付いていなく、

人力に頼る事なく、

風力のみで動かせる船の事を言います。

そして、

ブログを書いていて気付いたのが、

「写真提供:(株)LDH]と

小さく記載されている事です。

LDHと言えば、

あのEXILEなんかのLDHかと思ったら

ビンゴでした!

HIROが作った映画「たたら侍」で、

この北前船は共演をしているのです。

野辺地町のYouTubeチャンネルでは、

映画のメイキングもあり、

かつて海に浮かんでいた頃の

勇姿も見られます。

陸揚げ日は6年ほど前。

はからずも昭和天皇の誕生日ですが、

「はかった」かも知れません(笑)

右斜め前から。

こりゃ〜かっこいいわ〜!

扇の装飾も凝ってますな〜

先端のデザインも素晴らしい!

自社の縁起物、

魔除け的な意味のハートマーク、

猪目(いのめ)も入っていますね。

船首から撮影。

船尾の舵もデカい!

「みちのく丸」と

右から左へ書かれているのも

江戸時代への配慮なんでしょう。

こんなに素晴らしい

「デッカイ奴」を再現して

僕たちの青森旅を

より思い出深いものとして下さった

船大工さんはじめ関係者の皆様には、

敬意と感謝しかありません。

常夜燈

「常夜燈公園」というからには、

本来、常夜燈が主役でしょうが、

「デッカイ奴」の前には、

影は薄くなっても仕方ないか〜(笑)

常夜燈へ。

「浜町の常夜燈」

案内を書き出すと

以下になります。

「浜町の常夜燈は、

文政10年(1827)、野辺地の廻船間屋

野村治三郎によって建てられた。

関西の商人橋屋吉五郎の協力を得て

海路を選ばれてきたものである。

常夜燈には、

毎年3月から10月まで夜ごと灯がともされ、

航海の安金を守る灯明台として

野辺地湊に行き交う船を見守ってきた。

江戸時代に物資輪送の大動脈であった

大坂と蝦夷地(北海道)を結ぶ日本海航路。

野辺地湊はこの航路への

盛岡藩の窓口であり、

領内の海産物・大豆・鍋などを

積み出す船や、

塩・木綿・日用品などを積み

入港する船でにぎわった。

湊には湊役所・遠見番所・

銅蔵・大豆蔵などの施設や

廻船間屋の船荷蔵があり、

船は沖合に停治し、

はしけ船によって船荷を遅んていた。

この常夜燈は、

かつての野辺地湊の面影を伝える

貴重な史跡である。」

さらにGoogleのAIによる回答だと

より詳しくなります。

「常夜燈の世話人は、

瀬戸内海塩飽諸島(現香川県)の

商人である橘屋吉五郎で、

千石船「八幡丸」によって

野辺地港に運ばれました。

毎年旧暦3月10日の

金毘羅様の御縁日から

10月10日までの間、

毎日火がともされていました。」

海を守るという観点から、

金毘羅様(今の金刀比羅宮)との関係は、

重要だったのですね!

「江戸時代の航路」

「野辺地湊が大さく栄えるきっかけは、

材木の搬出といわれています。

青森県の山々はかつて、

絵におおわれていました。

野辺地湊には、馬門などの山の木を求め、

多くの船が訪れたようです。

『野辺地郷土史年表」によると

南部藩雑書に

「度安二年(1649)に、

松前より野辺地へ着岸の商船12艘」の

くだりがあるようです。

このころ下北半島の諸湊は、

桧材を積みだす船でにぎわいました。

積みだされた絵は、

江戸や大坂などに運ばれ、

お寺や神社、大名の江戸屋敷などの

建築材としで使われました。」

航路を拡大。

絵図に着いた水滴が

早朝の訪問だった事を

思い起こさせてくれます。

改めて正面から。

側面。

「デッカイ奴」と共に(笑)

大いなる道草、

めっちゃ楽しかった〜!

 

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