琴似屯田兵村兵屋跡(札幌市)

 

パンフレット

僕は資料などを

整理・保管するが苦手なので、

極力画像で残していますが、

その画像の整理も苦手なので、

ブログにアップしています(笑)

三つ折りなので、

真ん中は逆さまになっていますね(汗)

地図を見ると、

屯田兵村は石狩川に沿って、

作られているのが、

よくわかります。

屯田兵屋へ

琴似神社参拝後、

近くの屯田兵屋へと向かいます。

歩道に埋め込まれたオブジェ。

屯田兵屋とランプ、

それに札幌の星マーク、

なかなか素敵じゃ無いですか!

琴似屯田兵村兵屋跡に到着。

入口。

管理人小屋。

説明板を要約すると

以下になります。

「屯田兵制度は、明治六年十月、

開拓使次官黒田清隆の上表に基づき

北海道、樺太の警備と拓殖、

地方警備、開拓の経費軽減、

士族の授産を自的として

発足したものである。

琴似屯田兵村は、

明治七年四月に地割と兵村建設に着手

同年十一月二十八日に

二〇八戸の兵屋が完成し、

明治八年五月入植した

屯田兵制度最初の兵村である」

黒田清隆さんは薩摩藩士。

東北戦争(戊辰戦争)では、

西郷隆盛の指示で降伏した庄内藩に

寛大な処置を伝えた人物。

琴似屯田兵村にも庄内藩士が、

入植していますし、

庄内藩との関わりは、

ずっと続いていたのですね。

史跡案内。

土間。

「試行的な地割りであったため、

農作業等への支障が大きく、

その後の兵村では、ここまでの密居制が

採られることはなかった。」

この言葉通り、

兵村はかなり密集してます。

試行錯誤とはこのことでしょう・・・

パネル展示1。

パネル展示2。

当初はレンガ造のあったか〜い家を

構想していたらしいのですが、

予算の都合で、

こんな天井板も断熱材も無い、

火鉢一つで厳寒を過ごす、

寒〜い家になったそうです・・

現代でもこんなパターン

あるあるですね(笑)

思った以上に

中は広く設れれています。

外観

次に外観を見学。

総板張りの家屋。

案内には、

「この兵屋跡は、東西十間、

南北十五間(一五〇坪)に区画され

十七、五年坪の兵屋一戸が

建てられたものの遺構で、

宮城県亘理郡小堤村より入植した、

屯田兵清野専次郎入居兵屋

(兵屋番号一三三番)として

給与されたものである。」

このように書かれています。

裏側。

手前が台所の排水溝、

奥が便所の汲み取り場です。

男子小用便器。

江戸時代の殿様が使っていた

郵便ポストみたいな形ですね。

大用。

座る方向は、

江戸時代の殿様同様右向きかな?

それとの左向き?

謎です・・

畑と家屋。

へ〜現役で耕作されているんだ!

とうきび、枝豆、

じゃがいも、大根、

かぼちゃ、玉ねぎ、

かなりの収穫があるようです。

玄関前でツーショット完了。

今日の注目

屯田兵村前の街灯に注目!

街灯の柱が、

「白樺」(しらかんば)ですよ!

これ考えた人、センス良いのか、

それとも・・?(笑)

 

  関連記事 - Related Posts -

 

  最新記事 - New Posts -

 

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください