万部島(佐賀城一周)万部塔

 

人も歩けば腹が減る

佐賀城を一周かつ城内外周辺を散策し、

夜は吉野ヶ里歴史公園まで

足を伸ばしたこの日、

朝から晩まで歩きまくりで、

歩行距離はトータル十数キロ、

まあ、よく歩いたものですが、

歩けば当然、腹が減ります(笑)

そんな小腹が空いたとき、

住宅街の一角で見つけたのが、

「回転焼」の幟です。

幟の磁石に引き寄せられ思わず購入。

お店の名前は、

佐賀県の県木として名高い「くすの木」、

めっちゃ縁起のいい店名じゃないですか!

「回転焼」は関東では「今川焼き」、

福岡では「回転まんじゅう」などと言い、

地方によって呼び方は違うものの

恐らく内容は皆同じでしょう。

僕たちとしては、ちょと珍しい

食べ歩きのツーショット。

幟があってホント良かった〜!

そして、

回転焼、美味しかった〜!

万部塔・万部恵比須・六地蔵

腹ごしらえして準備万端で万部島に到着。

まずは案内から。

「万部島(まんぶじま)」

以下、全文です。

「田布施川に架かる石橋を渡った

この場所が万部島です。

佐賀城の鬼門の方角(北東)にあたり、

江戸時代までは

川と城堀に囲まれた島でした。

「万部」の名称は、

戦国武将の龍造寺家兼

(剛忠/隆信の曽祖父)が

法華経一万部を読誦させ、

1538年(天文7年)の結願を機に

納経したことに

由来すると伝えられています。

納経の場所は未詳ですが、

同じ天文年間の六地蔵2基が、

この奥に現存しています。

その後、歴代の佐賀藩主により

建てられた11基の万部塔(市史跡)も

整然と並んでおり、

いつでも見学することができます。

なお、佐賀の乱(佐賀戦争)戦死者を

慰霊する石碑も建てられています。」

万部島は地図の右上、

案内の通り佐賀城の北東です。

地図右下に記された

龍造寺隆信生誕地・胞衣塚の案内で、

「明治維新後、龍造寺隆信の胞衣塚は、

万部島の鍋島家の屋敷地に移されたが、

この度、再びここに戻すこととなった。

遺物は、胞衣甕と蓋石の二品で、

万部島から発掘されたそのままを奉安した。」

このように書かれていた

「万部島」になります。

田布施川に架かる石橋。

アオサギちゃんのお出迎え。

橋を渡ると万部塔が見えています。

ピンボケですが(汗)

以下、案内全文です。

「種別 佐賀市史跡

名称及び員数 万部塔11基 六地蔵2基

指定年月日 昭和42年2月11日

石塔群は、佐賀初代藩主

鍋島勝茂から代々の藩主または

嫡男が自ら願主となって、

藩の安穏と領民の息災を祈願し、

法華経一万部読誦の結願石塔として

建てたものである。

このならわしは、

永正2年(1505)

龍造寺家兼(隆信の曽祖父)が

執行したのが最初である。

11基が整然と並んでいる様は壮観であり、

往時の為政者の住民に対する

心情の一端がしのばれる史料である。

六地蔵は、地獄・餓鬼・畜生・修羅・

人間・天上の六道の衆生を

救済する仏である。

南側の六地蔵には

「天文弐暦(1533)十一月二十八日」、

北側の六地蔵には

「(文字が消してある)乙末霜月七日」の

造立銘があり室町時代の石像物で

代表的なものとして価値が高い。」

標柱。

案内の絵図を拡大。

この絵図が描かれて以降の藩主が

残り5基の万部塔を建てて、

現在の11基となったようです。

入口。

11基の万部塔。

正面から。

奥の六地蔵など祠群。

万部島恵比須に参拝。

白粉を塗った恵比須さん、

かなりレアですよね!

北側の六地蔵。

台座には「天文」の文字が

確認できますので、

500年近く前の建立でしょう。

これは素晴らしいですね!

風化も少なく、

建立当時の姿を

そのままとどめています。

上下に6体づつ、

合計12体のお地蔵様が

刻まれていて、

かなりの力作といえます。

万部島は鍋島家の屋敷跡なので、

比較的保存状態が

良かったのかも知れません。

どのお顔を見ても

心癒されます。

南側の六地蔵。

こちらは一段で合計六体です。

北側と同時期の建立ですが、

こちらの方が、

ちょと風化しているかな?

辨在天に参拝し、

万部島での次なる目的地、

「万部島招魂場」へと向かいます。

 

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