乃木館(香川県善通寺市)特設展
二人だけ
平日のお昼過ぎだったからか、
乃木館滞在中は、
ほぼ二人だけの独占状態でした。
外国人観光客の激増など、
オーバーツーリズムの問題とは、
対極にある乃木館。
正直、ありがたい限りです(笑)
動員室
中身の濃い展示のおかげで、
予想以上の時間を費やしてしまい、
後半はやっつけ仕事的に、
超高速展示室巡りとなりました(笑)
音声案内の説明内容。
太平洋戦争(大東亜戦争)関連の
遺品など。
こちらは沖縄戦真っ只中に
司令官の牛島満中将が
歩兵三十二聯隊に出した感状ですが、
ここで凄いご縁を発見!
それはこちらです・・
「山形歩兵三十二聯隊之碑」
昨年山形城訪問時に出会ったものです。
この歩兵三十二聯隊は山形城跡に駐屯し、
沖縄戦に参戦、
昭和20年6月23日、
司令官の牛島中将が自決し
日本軍が実質的に玉砕した後、
8月15日の終戦以降も戦った
超しぶとい部隊です。
やはり感状を貰うだけの
猛者たちだったのでしょう。
そして、このご縁、
三十二聯隊のご英霊の方々が
結んでくださったのかも知れませんね・・
軍服など。
こちらも遺品など。
四国・高知県出身の
山下奉文大将の遺品。
開戦劈頭、マレー半島を
鮮やかに占領したものの
終戦間際のフィリピン戦での
戦争犯罪を問われ、
裁判という名の復讐で、処刑された方です。
遺品を見ていると
僕が50年ほど前に読んだ本に
処刑の寸前に
「これからの日本は女性の活躍が大切」
みたいなことを言い残したと
書かれていたことを思い出しました・・・
遠い昔、
中大兄皇子と藤原鎌足らが
蘇我入鹿を暗殺した乙巳の変よりも
はるか以前から何も変わらず、
いつの時代になっても
「勝てば官軍、負ければ賊軍」。
これが人間というものの
限界なんでしょう・・
特設展
「終戦後ベトナム独立のために
戦った日本兵」という
特設展コーナーへ。
展示ブース。
石井卓雄陸軍中佐は
終戦後、義勇軍を結成、
「敗北の帰還兵となるよりも、
同志とともに越南独立同盟軍に身を投じ、
喜んで大東亜建設の礎石たらんとす」と
ベトナム独立戦争に参加し、
昭和25年、フランス軍の地雷によって
戦死されています。(案内より)
残留日本兵の数は約1万人、
また残留日本兵になった理由には、
独立戦争に参加して戦うためなど
いくつもがあげられています。
これが全てとは言えませんが、
日本と東南アジアの関係が深いのは
こんなところにもあるのかも知れません。
そして、館外へ。
ここでツーショットを完了。
飛行機・戦車の見学へと向かいます。