吉備津神社(岡山市)後編

 

裏参道

独特の容姿をした本殿、

そして長い廻廊の二つが、

吉備津神社を象徴しています。

そのうちの廻廊が造られているのは、

いわゆる「裏参道」と言われる、

本殿の後ろ側からの参道です。

本殿を囲む廻廊は、

多くの神社で見られますが、

裏参道の廻廊は珍しいもので、

ここ以外で僕が思い出せるのは、

長野県、諏訪大社の

上社本宮の裏参道の廻廊くらいです。

南随神門・廻廊

本殿向かって右横を起点として伸びるのが、

天正七年(1579年)再建の

360mもの長さを誇る廻廊です。

ここから裏参道入り口まで歩いてみます。

南随神門(本殿側)。

パンフレットには、

延文二年(1357年)の再建で、

吉備津神社の建物では最古のものと

書かれています。

南随神門(表側)

この門の全容は、

遠方から見ることが出来ます。

廻廊と南随神門。

角度を変えて撮ると、

南随神門と本殿は、

すぐ隣にある事がわかります。

廻廊全景。

真横から動画でも撮影。

途中振り返って撮影。

廻廊の中間付近に鎮座するえびす宮。

さらに行くと廻廊には

岩山宮の扁額が。

階段を登るとお尻が痛い(笑)

岩山宮に参拝。

御祭神は吉備の国の地主神、

建日方別(たけひかたわけ)神。

ここから少し山を降りると、

こんな案内板があります。

如法経塔の案内。

「神仏混淆(こんこう)の時代の遺物で、

室町時代の作品であるにちがいない」

超訳するとこんな感じです。

参拝。

そして、もう一つ、

神仏混淆の遺物へ。

「この礎石は室町中期の

文安四年(1447年)建立の

三重塔の心礎である。」

「老朽化し享保十七年(1732年)

社家たちによって取り壊された」

このように書かれています。

もしかすると、

江戸時代から神仏分離を進めたり

寺社整理を行っていた岡山藩なので、

その一環なのかも知れません。

(あくまでも勝手な推測です)

水子慰霊社。

祖霊社。

廻廊に戻って歩きます。

廻廊に掲げられた扁額と

先に見える御社殿。

三神に参拝。

廻廊南端の境内入り口。

吉備津彦命の父母を祀ったお社です。

拝殿。

幣殿と本殿。

滝祭神社。

御竈殿

廻廊と境内社巡りのあとは、

テレビでも度々紹介された

鳴釜神事が行われる御竈殿へ。

御竈殿は、境内横の

文政六年(1823年)

建立の鳥居をくぐって、

すぐ右側にあります。

慶長十七年(1612年)再建の

国指定重要文化財です。

真ん中の廻廊が邪魔して(笑)

正面から建物全体が撮れないので、

まずは右半身を撮影。

左半身。

鳴釜神事のご案内。

御竈殿鳴動神事の由来。

「社伝によれば、御祭神に

退治せられた鬼「温羅」(うら)を

祀る処と伝えられる。」

「或夜、吉備津彦命の御夢に

温羅の霊が表れて

「吾が妻、阿曽郷の祝の娘阿曽媛をして

ミコトの釜殿の神饌を炊かしめよ。

若し世の中に事あらば

釜の前に参り給はば、

幸あれば、裕かに鳴り、

禍あれば、荒らかに鳴らふ。

ミコトは世を捨てて

後は霊神と表はれ給へ。

吾が一の使者となりて

四民に賞罰を加へむ」

と告げた。

これ神秘な釜鳴神事のおこりである。

今日も「鳴釜の神事」が行われており、

鳴動の音の大小長短により

吉凶禍福を卜するのである。」

このように書かれています。

神社のパンフレットには、

黒田官兵衛も

これを体験したようです。

宇賀神社

神社から道路を隔て、

飛び地的な場所に池があり

そこに宇賀神社が鎮座しています。

神橋を渡り島へ。

鳥居には「文化?年」の扁額。

200年ほど前の建立ですね。

参拝。

宇賀神社から見た

吉備津神社本殿と廻廊。

これでようやく(笑)全ての参拝は完了です。

今日の鬼

御竈殿前の廻廊で見つけた鬼。

かなえボー。

願いが叶う棒でしょうか?

桃太郎で言えば、

鬼=温羅ですから、

鬼は神となって僕たちを

守ってくれているのですね。

 

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