六道珍皇寺(京都市)冥土通いの井戸

 

マニアな京都

松原橋から清水寺に続く松原通には、

あまり外国人の姿を見かけませんでした。

後に訪問した清水寺では、

参拝者(というか訪問者)の多くが、

外国人だったのとは対照的です。

やはり葬送の道、六道の辻などという

「精神性」よりも

仏閣建築の「ビジュアル」の方が、

外国人には受け入れられ易いのでしょう。

まあ、

日本人もそんなに多くはなかったので、

ここは少しだけ、

「マニアな京都」かも知れません(笑)

山門

六波羅蜜寺から松原通に戻るとすぐに

六道珍皇寺の入口があります。

標柱にあるように

やはりここは、

小野篁(おののたかむら)が主役です。

「六道の辻」の標柱と寺宝展の案内。

僕たちの訪問数日前までは、

特別公開があっていたようです。

「六道珍皇寺」

案内を抜粋すると

以下になります。

「臨済宗建仁寺派に属する。

創建は平安時代に遡り、

かつては真言宗東寺に属していた。

寺域は、

古来からの葬送の地、鳥辺野の麓で

入口付近に当たることから、

冥界との境界『六道の辻」と称され、

お盆に帰る精霊は

必ずここを通るともされた。」

「愛宕の寺もうち過ぎぬ

六道の辻とかや

実に恐ろしやこの道は

めい土にかよふなるものを」

「謡曲 熊野(ゆや) 清水詣より」

このように刻まれています。

謡曲にさえも

「恐ろしや〜!」と唄われた道・・

俗にまみれた僕たちが、

楽しく歩いている姿を

昔の人が見たら、

何と思うのでしょうか?(笑)

山門。

本堂

境内は小ぢんまりとして、

静かに落ち着いて散策できます。

「三界萬霊十方至聖」。

三界萬霊塔はよく見かけますが、

こんな長い名前は初めてです。

GoogleのAIによると

「お寺での施餓鬼や供養の際に

用いられる言葉で、

仏教の教えに基づき、

三界に存在するすべての霊と、

十方に至る聖なる仏に

敬意を表する言葉」

このような意味になり、

三界萬霊塔がよりパワーアップした

内容となっています。

本堂へ。

左側の提灯の文字は、

「閻魔王宮の臣 小野篁旧跡」

右は、

「この世への出口 六道の辻」

寺紋は源氏のシンボル、

笹竜胆ささりんどうっぽくもありますが、

竜胆のデザインは違うような・・

なんと言うのでしょうかね?

篁 冥土通いの井戸

ここからがメインです!

本堂向かって右側にある

「篁 冥土通いの井戸」の見学台。

「篁 冥土通いの井戸」

以下、案内の抜粋です。

「当寺の本堂裏庭の北東角にある井戸は、

平安の昔に小野篁が

冥府の閻魔庁の役人として

現世と冥界の間を行き来するのに

使った所といわれている。

いい伝えによれば、

篁は亡き母御の霊に会うために

この鳥辺野にある当寺を訪れ、

冥土に通じるといわれる

この井戸を使ったのが

最初といわれている。

また、「矢田地蔵縁起」にある

大和の国(奈良県)

金剛山寺(矢田寺)の満慶上人が、

篁を介しての閻魔大王の招きに応じて、

衆生を救うための戒行である

菩薩戒を授けに閻魔庁へ赴いたのも

当寺の井戸からとされるなど、

珍皇寺の井戸と篁さらには

冥界を結びつける

不思議な伝説は数多くある。」

ここで出てくる

金剛山寺(矢田寺)をネットで調べると

なんと、

この時の閻魔大王にまつわる

地蔵菩薩が本尊として

安置されていることが分かりました!

金剛山寺は奈良県の

大和郡山城から西に3Kmほどの場所、

来年(令和8年)の大河ドラマでは

城主だった豊臣秀長が主役なので、

大和郡山はきっと盛り上がるはず!

と言うことは・・

六道珍皇寺のご縁続きで、

地蔵菩薩に参拝するしかないか〜(笑)

井戸の写真が掲げられ、

「格子窓より覗いて右手方向」と、

親切な導きもあり、

とにかく覗いてみる事に。

見えるか?

手前の手水鉢があまりにも趣があって、

そっちに目が行ってしまいます(笑)

ズームして井戸を撮影。

左側には、案内に書いてある

「小野篁の念持仏であった

竹林大明神」も見えています。

(続く)

 

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