佐伯城(大分県佐伯市)後編

 

災い転じて・・・

佐伯城は、完成後十数年で、

天守はじめ二の丸など、

焼けて無くなっています。

この火事の後、再び山の上の天守は、

再建されませんでした。

その代わり山の麓に館を作って、

そこに政庁としての機能を移転し、

明治維新を迎えました。

火事になったから

山上まで出勤することもなく?

仕事がしやすい環境が出来たわけです。

権威としての天守の役目は、

戦国時代で、終わっています。

その証拠に、明暦の大火で、

巨大な江戸城の天守も

焼け落ち、そのまま再建されませんでした。

そして江戸の街並みも大火事のお陰?で、

更地になったところも多く、

平和な時代に合った物に

作り変える事が出来ました。

もちろん佐伯でも江戸でも

火事で怪我をしたり、

不幸にも多くの方が亡くなったりと

そこにはいろんな人間ドラマが

あったはずですから

災い転じて福となすとは簡単に

言えないかも知れませんが、

結果的にはオーライだったようですね。

本丸

二の丸のさらに北側に本丸があります。

二の丸と本丸は、

近代に架けられた

橋で繋がっていますが、

以前は廊下橋があったそうです。

本丸から二の丸の石垣を臨む。

本丸と二の丸を繋ぐ橋のアップ。

本丸の天守台から

橋と二の丸方面を撮影。

直接天守への道があったとは、

不用心?

いや何か考えがあっての事でしょう。

本丸からは佐伯湾も見えて、

眺望は最高です。

南東方面。

景色に見惚れていたら

ここで、妻が気になる木を発見。

幹の下側は枯れ木なのに、

花を咲かせている桜の木。

妻の好みは、

枯れているようで、

しぶとく生命力を感じる木なのです。

本丸正面の石畳が、

めっちゃカッコいいのです!

平成塔。

いまや、一時代前の塔になって、

少し歴史を感じますね(笑)

天守台

本丸の中心には、

天守台の石垣が、

しっかり残っています。

マヤ文明のピラミッドを

連想させるようなデザイン。

天守台の上には、

さらに少し石垣が積まれています。

神社です。

「毛利」の文字が刻まれているので、

藩主との繋がりがあるのでしょう。

まさか・・・

おしっこ禁止の鳥居では?

いや、祠の鳥居でしょう(笑)

北の丸

最後の「丸」(笑)北の丸です。

本丸から北の丸を撮影。

お城の縄張りがよく分かるアングルですね。

北の丸。

北の丸から本丸の石垣を撮影。

同じく北の丸から本丸の石垣。

先端まで行ってみます。

北の丸の石垣も、

綺麗に残っています。

北の丸先端部分の石畳。

ツーショットは、本丸で。

映画のロケ地

案内板には、

「釣りバカ日誌19」

ロケ地と書かれています。

ウィキペディアで、調べると、

佐伯出身の俳優、竹内力も

出演していました。

ここで、佐伯城の散策は完了。

帰りは、

「独歩の道」を通って麓に戻ります。

距離は長いのですが、

かなり緩やかな坂なので、

帰り道として選ぶには

丁度良かったですね。

今日のユニーク

麓まで戻った僕たちが見つけたのが、

こちらです。

手をかざすとカッパの頭から

水が吹き出す仕掛けです!

面白くて、妻の顔も

カッパみたいに?なっています(笑)

 

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