静岡浅間神社(静岡市)

 

徳川家康の元服式

徳川家康は、今川の人質時代、

14歳のときに、ここ静岡浅間神社で、

元服式を行っています。

加冠を行う役目の

烏帽子親(えぼしおや)は、

なんと、今川義元です。

まさか5年後、自身が桶狭間で殺され、

結果、家康が人質生活を脱却し、

戦国大名デビューの後押しまでするとは、

思ってもみなかったでしょうが、

烏帽子子の繁栄を後押しする

烏帽子親としての役目は、

十二分に果たせたと言えます(笑)

そんな静岡浅間神社が、

現在多くの重要文化財が建ち並び、

素晴らしい神社になったのは、

駿府城のお膝元であるとともに、

家康の人生で重要な儀式である

元服式が行われたことで、

幕府からの崇敬が篤かったことも

大いに関係がありそうですね。

神社の名前

この神社、

実は三社の独立した神様の集合体を

静岡浅間神社と呼称しています。

その三社とは、

神部神社(かんべじんじゃ)、

浅間神社(あさまじんじゃ)、

大歳御祖神社

(おおとしみおやじんじゃ)です。

総称と違い、

「浅間」は、「せんげん」ではなく、

「あさま」と読むのには、

頭がこんがらかりそうです(笑)

境内案内図。

まずは、神部神社、浅間神社へ。

神部神社・浅間神社

神社の前は

車がひっきりなしに通る道路です。

信号を見ながら素早く撮影。

命懸けとまではいきませんが、

ちょっとドキドキしたかも?

神門前の石橋。

ここで、発見したのが、

僕の大好きな盃状穴です(笑)

しっかり彫られていますね!

欄干部分にも沢山あり、

江戸時代を感じさせてくれます。

この神社、

僕だけは以前参拝した事がありますが、

その時は盃状穴という言葉も知らず、

もちろん興味もなく、

従って全く気付きませんでした。

楼門。

右側の回廊は工事中。

随神様(阿形)。

随神様(吽形)

楼門の先には、

手水舎が左右に2つ。

写真奥の方は、神部神社、

手前のが浅間(あさま)神社用です。

僕たちは浅間神社の手水鉢を使用。

拝殿手前の舞殿。

ここでは、両社に同時参拝が出来ます。

左が浅間神社、

右が神部神社の神紋でしょう。

そして、この先の拝殿へ。

まるでお城の層塔型天守のようですね!

この大拝殿は、

神部、浅間両社の拝殿で、

Wikipediaによれば、

「重層な大拝殿は高さ25メートルで

木造神社建築としては、

出雲大社本殿(約24メートル)より高く、

まさに日本一の威容を誇る。」

このように書かれています。

左横から撮影。

カッコいい!

駿府城前の県庁別館21階から見た拝殿。

背後の山は、賤機山(しずはたやま)で、

今川氏の駿府館の詰城である

賤機山城もここにありました。

また、家康は、武田軍との戦いで、

将来の再興を誓いながらも

戦略上、泣く泣く

この浅間神社を焼き払っています。

(もちろん家康は再興しています)

まずは、向かって左側の

浅間神社に参拝。

主祭神は木之花咲耶姫命。

初代、神武天皇のお祖母様です。

神部神社に参拝。

主祭神は大己貴命

(おおなむちのみこと)。

大国主命の別名です。

16時半過ぎたので、

扉は閉められています。

ここでツーショット完了。

大歳御祖神社

三社目は

大歳御祖神社

(おおとしみおやじんじゃ)。

楼門(随神門)。

第二次大戦末期の空襲で、

楼門と拝殿は焼けてしまい、

今はコンクリ製のものが建っています。

拝殿。

主祭神は、大歳御祖命

(おおとしみおやのみこと)

お稲荷さん(倉稲魂神)のお父様です。

神紋は三つ葉葵の変形。

名前はわかりません・・・。

拝殿とは離れた

高い場所に鎮座する本殿は

江戸時代の建築で重要文化財。

ここは空襲を逃れていますね!

八千戈神社(境内社)

ここからは境内社です。

まずは、八千矛神社へ。

Wikipediaによれば、

「徳川家康の念持仏であった

摩利支天像を安置するために

造営されたもので、

摩利支天社と称し、徳川家をはじめ

幕府が殊に崇敬を尽くし、

社殿も本社に次いで造営され

壮麗なものである。

明治初年の神仏分離に際して、

摩利支天は葵区大岩町の臨済寺

(今川家菩提寺)に遷され、

八千戈神社となった。」

このように書かれています。

家康が大事にしていた摩利支天が、

何故今川家の菩提寺に

あるのでしょうか・・・

緊急避難だったからか?

それとも他の理由が?

本社と言ってよいほど

立派な御社殿ですね。

主祭神は、

八千戈命(やちほこのみこと)

神部神社大己貴命の荒御魂神で、

やはり大国主命の別名です。

神門の彫刻は麒麟で、

この右側は阿形。

左側は吽形。

素晴らし御社殿ですね!

装飾はきらびやかで、

東照宮的な感じがします。

家康さんの大切なものが

祀られていなのだから当然かな(笑)

少彦名神社(境内社)

最後に参拝したのが、

少彦名神社です。

Wikipediaでは、

「もと神宮寺薬師社と称し、

薬師如来・十二神将を安置していたが、

明治維新に際して

臨済寺に遷され少彦名神社となった。」

このように書かれ、

医薬の神様、

少彦名命が祭られています。

立派な拝殿。

斜めから見た拝殿。

瓦や入母屋破風の装飾まで、

微に入り細に入り

神経が通った装飾です。

時間があまり無い中(汗)、

何とか主要な神様への参拝は完了。

あとはホテルでの酒盛りで

まったりするだけ(笑)

余談

神社背後の賤機山には、

静岡空襲の時墜落した

B29爆撃機の搭乗員たちの

慰霊碑が建てられ、

その日米合同慰霊祭は、

50年近くも続いています。

空襲で町は焼け、多くが亡くなり、傷つき、

そして空襲した側の方も亡くなった・・・。

これだけで、虚しく感じます・・・

戦争を防ぐには、

こんな慰霊碑・慰霊祭のことを

地道に多くの人に知ってもらうことこそ、

大切なのでしょう。

 

  関連記事 - Related Posts -

 

  最新記事 - New Posts -

 

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください