駿府城・天守台発掘調査現場

 

ベターであれば・・・

「もし、豊臣政権が続いたら、

鎖国はなく、

日本はもっと諸外国と交流し、

国際的な国家になっていた」など

歴史を語る時、

「もし○○だったら・・・

こうだっただろう。」

みたいな話がありますが、

やはり江戸時代というのは、

日本にとって理想とまではいかなくても

ベストに近いベターではあったでしょう。

そして、人の一生そのものも、

ベターならば、それは及第点。

相撲で言えば9勝6敗くらいかな?

そう言えば、今回の駿府城の散策、

時間が押してしまい、

行けなかった場所があるものの、

7割方は巡れたので、

これもまたベター、合格でした(笑)

徳川家康像

東御門と巽櫓までの散策で、

2時間近くも費やした僕たちは、

急ぎ足で、次なる目的地、

徳川家康像へと歩きます。

本丸堀と東御門。

ここから公園の真ん中を突っ切って、

家康さんの元へ(笑)

お~あった!

いや、いらっしゃった~(笑)

これは、素晴らしい!

そして、カッコいい!

手に鷹を乗せたポーズ、

これもまた良いですね。

後ろ姿も完璧、

三つ葉葵の羽織も素敵です。

天守台発掘調査現場

家康像のすぐ真裏が、

天守台発掘現場となっています。

家康像の横から見学ゾーンへ。

大いにPRしていますね。

天正期天守台。

慶長期のものとの比較だと

かなり小さいですが、

天正期としては、

最大の天守台と書かれています。

発掘された天正期天守台。

大御所家康の小天守台の案内。

慶長期のもので、

大天守につながる小天守のようです。

発掘現場。

家康が人質時代に住んでいた

今川期の遺構もあります。

ここは天正期の金箔瓦が、

大量に発見された場所。

慶長期、天正期の石垣の特徴。

手前の慶長期のものは、

加工した石を積む打込み接ぎ、

向こう側の天正期のものは、

自然石を積む野面積みと

技術の変遷が一目瞭然です。

天守台発掘調査の案内。

英語版もあります。

こちらが、江戸城よりも大規模な、

慶長期の大天守台の発掘現場。

上部は明治期に壊されていますが、

下部は、打込み接ぎの石垣が、

しっかりと残っていて見応え十分ですね。

ここは動画でも撮影。

資料が乏しく、

天守の形などは未だに謎。

大天守台の石垣前にある

「駿府城で見られる石垣の積み方」。

野面積み、打込接ぎ、切込接ぎ、算木積、

あらゆる種類がここで見られます。

大天守台北側へ。

明治時代に壊された天守台の石の案内。

う~ん、

何とも言えない光景です・・・

明治時代は廃仏毀釈といい、

このお城の破壊といい、

日本の貴重な歴史ある

文化財受難の時代です・・・

ただ、これも時代の一面で、

素晴らしい点も多々ありますから

明治時代もやはり

ベターだったのでしょう(笑)

そんな事を考えつつ、

ちょっとしんみりした所で顔を上げると、

こんなものが目に入ってきました。

何と、

徳川家の家紋、三つ葉葵の旗が

青空になびいているではありませんか!

いや~テンション上がった~(笑)

発掘情報館きゃっしる

発掘現場の横には、

「きゃっしる」と言う名前の

情報館が建っています。

「きゃっしる」は、

「キャッスル(城)」と「知る」を

ミックスさせた造語でしょうか?

なかなか良い名前ですね!

そして、

ここで見つけたのが、この告知です。

発掘調査概報の最新版!

300円ならば買うしかない(笑)

きゃっしるで購入をお願いすると、

「隣の小屋で売ってます」

そう言われ、奥のプレハブへ。

無事GET!

大天守台と共に記念撮影(笑)

冊子の内容は、

ここならではの情報ばかりで大満足!

そして、天守台前ではツーショットも完了。

この後予定していた

坤櫓(ひつじさるやぐら)訪問は

時間がなくなり断念したものの、

期待していた数倍の充実感を味わえた

素晴らしい大御所の駿府城でした。

今日の注目

駿府城内の野外劇場。

公演日に向け、

工事が着々と進められています。

こんな日常こそ最大の幸せ、

是非公演が成功していますように!

 

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