2025/01/15

荘内神社(鶴ヶ岡城)参道

 

神域>城域

鶴ヶ岡城内の荘内神社の特徴は、

米沢城跡の上杉神社と同じく、

ご神域は城跡の一部ではなく、

城跡の多くを占めています。

というわけで、

表題も神社がメインなんですね(笑)

駐車場から

鶴ヶ岡城の駐車場は、

ありがたいことに無料。

僕たちが到着した頃は

学校の送迎の車が多く、

ここは市民の利便性にも

貢献しているんだと実感。

お城に行く前から

地方都市ならではの

ほのぼのとした光景を

楽しませていただきました。

道標。

「ゴメン!ここはバス専用だけど、

無料駐車場は沢山あるから安心してね」

そんな声が聞こえてくるような

初見参者に優しい地図付きの案内で

迷うこと無し!

登城口というか社頭というか、

ま、どっちも兼ねています(笑)

並木

参道入口左右の並木、

なんとなく狛犬っぽく感じます。

右側の松の木は元気に猛々しく

お尻を上げたような「阿形」。

左側の松の木は腰が低く優しい「吽形」。

長年神域の重要ポイントで育つと、

いつしか

神様が宿っているのかも知れませんね!

こちらはデッカい桜の木。

江戸彼岸桜と案内されています。

二の丸大手門跡

参道の一の鳥居あたりが、

大手門が建っていた場所です。

大手門跡へ。

「鶴ヶ岡城のうつりかわり」

時系列でまとめると以下になります。

●鎌倉時代〜戦国期 武藤氏の居城

城名は「大宝寺城」

●天文年間(1533頃)武藤氏居城を移す

●天正15年(1587)武藤氏亡ぶ

上杉氏〜最上氏が支配

●慶長8年(1603)最上義光の

隠居城として改修。鶴ヶ岡城と改称

●元和8年(1622)酒井忠勝が入国

●明治4年まで酒井氏が治める。

●明治8年(1875)鶴ヶ岡城解体され

本丸に荘内神社を建立

復元図とGoogleマップを

照らし合わせると、

多くは埋立てられたとはいえ、

往時の半分近くの堀が

残っていることが分かります。

見どころの紹介。

一の鳥居=大手門跡

案内。

模型の写真。

大手門の前には、

馬出しっぽいものがあったようです。

大手門から見た鶴ヶ城。

参道部分はお堀だったのが、

よく理解できます。

酒井調良翁像

少し行くと、

内堀の一部が見えてきます。

噴水もあって、

ここはまさに公園。

そして、

この対面に建つのが、

こちらの銅像です。

「庄内柿の祖 酒井調良翁像」

酒井調良は、家老の家に生まれ、

種無しの柿「庄内柿」を開発した人。

凄い人なんだ〜!

遠賀原のケヤキ

コンパクトなお城ですが、

参道はそれなりに長いです(笑)

ここで、左側に

「象のようなもの」を発見!

「旧国指定天然記念物

遠賀原のケヤキ(根幹部)」

案内を抜粋すると

「遠賀原(現千石町)

地蔵堂境内にあった

樹齢約八百年のケヤキの巨樹で、

古くから「ツキノキ大明神」

「子守明神」等と呼ばれ、

土地の人びとから

崇められ親しまれてきた

御神木であったが、枯死状態となり

昭和六十年に伐採された。」

巨木を覆堂を建てて保存した例は

過去にも見てきましたが、

樹木をも神様と崇めて大切にする

日本人の宗教観を感じ、

ちょっとほっこりしますね。

遠賀原のケヤキを過ぎると

御社殿はすぐそこです。

(続く)

 

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