大刀洗平和記念館(福岡県筑前町)

 

歴史は繰り返す・・・

南北朝時代、この地域で起きた

筑後川の戦いは、

両軍合わせて10万人という

大規模なもので、戦死者は、

千人とも数千人とも言われています。

(Wikipediaでは4,800余人)

その激戦に勝利した

南朝方の武将、菊池武光が、

戦いの後、この辺りの小川で

刀の血を洗ったという故事が、

大刀洗(たちあらい)という

地名の元だそうです。

(昔の漢字は太刀洗)

戦いの後、

人々は、二度とそんな悲惨な戦争を

起こしてはいけないと、

供養のための塚などをつくり

亡くなった方々をずっと弔ってきました。

しして時は流れ、大刀洗に出来たのが、

陸軍の飛行場です。

結果、第二次大戦末期、

米軍の爆撃目標とされ、

民間人も含めて多くの死者を出す、

多くの悲劇が起きました。

その跡に平和を願って出来たのが、

大刀洗平和記念館です。

戦争→供養・祈り・平和の誓い

→戦争→供養・祈り・平和の誓い。

何百年経っても、

歴史は繰り返す・・のかな?

いや、次の→は無しにしないとですね!

大刀洗平和記念館へ

うきは市の神社を巡って、

大刀洗平和記念館に着いたのは

午後4時くらい。

閉館は午後5時ですから、

見学時間は1時間ほどになります。

僕自身は以前行ったこともあるし、

閉館まで1時間があれば一通りは

見られるとたかをくくっていたのが、

大きな間違いでした(汗)

新たな展示施設も増え、

企画展示も素晴らしく、

それらをゆっくりと見るならば、

恐らく2時間は必要だったでしょう。

入口の門は陸軍時代のものを

移設しています。

門の案内。

エントランス。

メインホールの横に展示された

日本で初めて、国産技術のみで

作られたヘリコプター。

入口の前は屋根付きスロープなので、

身障者の方も安心できそうです。

企画絵画展、「特攻花」というのが

期間を延長して開催されています。

最初は「特攻花って何かな?」

くらいにしか思っていませんでしたが、

奄美大島の隣にある喜界島から

飛び立った特攻隊員に地元の人が、

渡していたテンニンギクをモチーフに

若くして散っていった魂を菊にこめ

描かれたものです。

実際の絵画展を見ると

胸にこみ上げてくるものがあり、

正直、これを見ることが出来ただけでも

ここを訪問した意味はあったでしょう。

現在、テンニンギクは、喜界島で

平和のシンボルとなっているそうで、

一度は現地に足を運んで、

実物を見てみたいものです。

撮影は基本不可ですが、

零戦だけは撮影可能です。

零戦三二型

当たり前ですが、

館内の写真は零戦のみ。

左後方から。

右正面から。

コックピット。

右横から。

零戦32型の特徴である、

空母のエレベーターに納まるよう、

翼端が四角く切り取られた

デザインがよくわかります。

零戦の各型のスペックなど。

展示機

零戦三二型(Y2-128)について。

復元された主計器。

後ろ姿。

思った以上に見栄えしますね。

今日の思い・・・

館内の撮影はできませんので、

パンフレットを撮影しました。

今はコロナウイルスの関係で、

右下に紹介された

「追憶の部屋」に続く、

「語りの部屋」での朗読は

ありませんが、

できれば復活して欲しいものです。

何故ならば、

目の当たりに聞く生の言葉、

朗読者の表情というものは、

心に響く度合いが、

映像から流れてくる音とは、

全く別物だからです。

ネットやユーチューブでは

得られないものが、

そこにはありますから・・・。

 

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