高城城(宮崎県木城町)後編
城郭研究の第一人者
高城城で知ったのが、
八巻孝夫(やまきたかお)という
お名前です。
高城城跡縄張図
(八巻孝夫氏作図)。
これだけ詳細な図を書く人って
どんな人なんだろう?
そう思ってWikipediaで
調べてみると、
中世城郭研究会の実質的代表として
50年ほど前から現在まで、
第一線で活躍されている凄い方でした。
メロディー時計台
高城城の見所、
七つの空堀を見学後は、
縄張図の右端、主郭(本丸)へ。
ここは城山公園として、
素晴らしい整備がされていて、
「放置感」が全くありません。
藤の花もお出迎え。
鐘楼風な外観の、
メロディー時計台に到着。
二階。
時間はもうすぐ二時なので、
メロディーが鳴り出すかもと
スピーカーの下へ。
しかし、
メロディーは鳴らず・・・
まあ、ここで鳴ったら
耳がおかしくなっていたかも?(笑)
籠城戦の兵士の気分で、
小丸川方面の景色を堪能。
川上側の景色。
動画でも撮影。
ここでツーショット完了。
忠魂碑
次に忠魂碑へ。
時計台から俯瞰した忠魂碑。
忠魂碑の左手前の「高城興亡記」。
土持氏から伊東氏、
その後の島津氏の城となり、
二度の籠城戦の経緯などが
書かれています。
忠魂碑に参拝。
ここで感動したのが
こちらです・・・
ここに祀られる、
木城町出身の御英霊の歌碑です。
「三百三十八柱」と題され、
歌詞だけでなく曲も付けられています。
一番だけ書き出します。
「桜舞う城山よ あなたの愛したこの場所に
佇みて見渡せば 小丸川の美しさ
そう今も変わることなく 悠久の時を流れる
戦場に散ったあなたよ 今も私のこの胸に」
・・・・
二番以降も胸を打たれます・・・
哀悼の誠を捧げるとは、
まさにこの歌の事でしょう・・・
忠魂碑の右横に
ひっそりと建つ「招魂碑」。
合掌・・・。
新納観音(供養塔)
ここには、戦国時代、
籠城戦での死者の供養塔もあります。
新納観音。
「供養塔」
案内を書き出すと次のようになります。
「木城町一帯は、天正六年(1578)
高城合戦(耳川合戦)で
大友宗麟と島津義久の
激戦地の跡地であります。
この戦で約四千とも七千とも言われる方々が
亡くなられたとのこと。
今でも田んぼや畑の中、山の中、
いたる所に供養されていない
戦没者の無縁墓が
そのまま放置されているのを
木城町、川南町、
高鍋町、西都市でみかけられます。
その供養されていない
戦没者の霊の成仏と
その魂を鎮めるために
供養塔を建立しました。」
450年前のことなのに、
今も無縁仏は
無数にあるのですね・・・
六地蔵
メロディー時計台の
裏側で発見したのが、
六地蔵をあしらった灯籠です。
やはり戦没した兵士の
慰霊目的なのでしょう。
江戸時代に造られたようで、
柱と台座が盃状穴だらけになっています。
今日の注目
六地蔵の近くで発見したのが、
こんな石碑です。
「電燈奉納記念碑」
側面には、
「昭和拾壱年旧三月」と
刻まれています。
こちらが当時のものでしょう。
ここに電燈が来たのは、
思った以上に最近だったのですね。