天澤寺(鶴岡市)加藤清正公墓
清正の気持ち
加藤清正の後継者、忠広(忠廣)は、
暗愚な殿様というイメージもありますが、
清正の長男、次男は早世し、
結局三男の忠広にお鉢が回り
家督を継いだのが、
わずか11歳とまだ子供だったため、
家臣達に翻弄されたのが実情でしょう。
秀吉が幼い秀頼を遺して
亡くなった時の気持ち、
清正も感じていたのかも知れません・・
加藤清正公墓
本堂を参拝後、
天澤寺訪問の主目的、
加藤清正のお墓へ。
お墓は本堂の真裏。
本堂左側が墓地への参道です。
このお寺は曹洞宗なのに
左側には日蓮宗のお寺に
よく見られる字体で、
「南無妙法蓮華経」が刻まれています。
お墓の主、加藤清正が
熱心な日蓮宗徒だったから
敬意を持って建てられたのでしょう。
山門。
真ん中の赤く塗られた
加藤家の蛇目の家紋が、
目をひきます。
山門内には、
まさかの虎が!
親切に案内まであります。
「清正公と虎」
「清正公の幼名は虎之助であり
智仁勇三徳兼備の名将にして
大阪城・名古屋城・熊本城を残し
清正公と言えば必ず「虎退治」が
有名である。
丸岡に加藤清正愛用の
伝虎の皮製煙草入れが残されている。
又易経に「天澤履虎の尾を踏む」とある。
参拝の途に是非この虎をなでられ
大切な虎の子守り人生に
虎の巻を思いながらご参拝下さい。合掌」
虎尽くしの温かな文面、
住職さんのお人柄を感じ、
思わずほっこりさせられますね!
山門をくぐると正面に見えてくるのが、
加藤忠廣公家士の墓です。
まずは参拝。
家臣のお名前が刻まれています。
「加藤忠廣公家士の墓」
「加藤忠廣公に先だって逝かれ、
天澤寺に埋葬されている
加藤家ゆかりの人々の墓地を、
三百有余年を経た
昭和五十六年十月に移転整備し、
手厚く弔った。」
(家臣のお名前は割愛)
「記録のない男女三十人余の墓も
ここにまとめたものである。」
400年近く前のお墓を
ここまで大切にしているのには、
驚きますね・・
家士たちもきっと
喜んでくれているでしょう・・
年季が入った素朴な石畳、
心が整いますな〜!
清正公のお墓は一番奥。
墓域全景。
そして注目はこちら。
狛犬ならぬ狛虎。
存在感抜群だ〜!
「世代墓地と五輪塔」
「世代墓地は、金峯山天澤寺の
代々の住職を祀るお墓で、
地元ではその形から
ラント(卵塔)サマと呼ばれています。
その中央にカイキ(開基)サマと
呼ばれる五輪塔が建っていました。
昭和二十四年(1949)、
顕彰会による聖地発掘調査で、
五輪塔地下から
肥前弓野窯焼きの壺が出土し、
五輪塔地輪の
「正保四年(1647)十二月三日
清地院居士敬白」の刻印も判明されました。
考究の結果、
正保三年二月二十九日の
丸岡大火で焦土と化した城館で、
忠廣公は加藤家の
縁者でもあった天澤寺住職と諮り
清正公の御尊骨の壺を、
城館奥庭の太夫石から
天澤寺世代墓地中央に移し、
その上に五輪塔を建立し、
永代供養の方途を講じたものと
推断されました。
覆堂は、五輪塔を風雨から守るため
昭和四十二年(1967)に
建立されたもので、
御尊骨の壺も
その地下内部に納められています。」
こちらがその「壺」の写真です。
熊本からここまで遺骨を持ってきた
忠廣さんの父に対する思い、
どれほど強かったのでしょう・・
覆堂建立の碑。
覆堂の外から参拝。
五輪塔にも改めて参拝。
熊本、本妙寺にある
豪華絢爛な清正廟のあるお墓とは
好対照に超素朴な覆堂のお墓、
清正公を静かに思うことができる
心落ち着く空間です・・
ちなみに、
こちらが本妙寺の
加藤清正の拝殿(右)と
浄池廟(加藤清正公本廟)(奥)です。
覆堂を詠んだ歌碑。
英梅庵の墓
清正公のお墓の前に
ひっそりと建つお墓があります。
墓石の裏がわでも
案内だけはこちらに向いているんだ・・
そんな思いでお墓の正面に立つと・・
こちら側にも同じ案内が書かれています!
要するに表裏同じ案内があるんですね。
加藤清正公の墓参りをした人に、
めっちゃ親切な案内ですよ。
「英梅庵の墓」
「加藤忠広公の母堂に
主治医として肥後の国熊本より
この地丸岡に来た医師」
このように書かれています。
医者も同行したとは大変だ〜(汗)
参拝。
清正閣
次は清正閣へ。
エントランス。
「清正閣」
「加藤忠廣公と正応院様は、
清正公の御遺骨を密かに捧持し、
居館奥庭の太夫石の元に休め、
丸岡大火の翌年に
天澤寺世代墓地の五輪塔の元に安置した。
この清正閣も五輪塔、
神子石・太夫石とならぶ重要な史跡である。
はじめは土饅頭の上に
石碑が載っていたのみであったが、
天保年間に祠を建てた。
中の鉾型の碑は、熊本特産の島崎石であり
熊本から運んだものである。
昭和二十四年、清正公遺骨探索の調査では
第一番目にこの閣の下が発掘され、
その結果、地下二mの地点から
清正公着用と推定される鎧が出土し、
天澤寺に保持されている。
尚、そばの小さな五輪塔は、
密かに野に下した忠廣公の子供のものと
いわれている。」
このように記されています。
参道口の案内板に掲載された兜の写真。
発掘された鎧と付いをなすものと
書かれています。
遺骨といい、鎧兜といい、
忠廣さん、
偉大な父に対しての尊敬の念、
素晴らしいですね!
参拝。
加藤家の蛇目紋が入った
可愛らしい賽銭入に、
またまた住職さんや崇敬者の
優しさを感じますね!
この後は、
加藤忠廣の居館、
丸岡城へと向かいます。