鹿児島県人七士の墓(仙台市)

 

勝者も敗者

伊達政宗の墓所である瑞鳳殿

その麓に建つ瑞鳳寺の前には、

明治十年の西南戦争で戦死した

仙台の方々の弔魂碑が、

そして

瑞鳳寺の隣には、

敗者となり遠く仙台に連れてこられ

この地で亡くなった

鹿児島県人の墓地があります。

勝者も敗者・・・

またその逆も・・あり・・

この世の無常を感じたひとときです。

西討戦沒之碑

まずは弔魂碑へ。

高さ4mほどの立派な石碑で、

最上部には「西討戦沒之碑」の

陽刻が確認できます。

案内。

「碑文には西南限における

政府軍側戦死者のうち、

旧仙台藩士を中心に編成された

「警視隊新撰旅団」の戦死者

108名と、徴兵を中心とした

「鎮台所轄軍人」戦死者41名の

合計149名の戦死者を

慰霊するためのものであると記されている。」

このように書かれています。

出征した方の中には、

戊辰戦争の雪辱を果たす気持ちを

秘めて戦った人もいたかも知れませんね・・

鹿児島県人七士の墓

次に鹿児島県七士の墓へ。

余談ですが、

これを英語に自動翻訳すると

Tombs of the Seven

Kagoshima Prefectural

Samurai 」

こうなるんですよ!

「士」は「Samurai」と

訳されるのです。

なんだか高揚しますね(笑)

ここは瑞鳳殿へ向かう途中、

見つけていた入口で、

その時は、

「瑞鳳殿の後に来よう」と

妻と話していました。

「後から」というのは

大方実現しないのですが、

その「後から」が

現実のものとなった珍しい例です(笑)

案内を書き出すと

以下になります。

「明治十年西南戦争に従軍し

戦後官軍に投降した西郷軍は、

国事犯として全国の監獄署に護送された。

宮城県には椎原国幹

(西郷隆盛の叔父)以下

三〇五人が県監獄署に収容された。

国事犯達は、

みずから宮城県内の開発を願い出て、

仙台、塩釜、野蒜、雄勝等で

開墾作業や築港工事に従事し

明治初期の宮城県の開発に

大きな役割を果たした。

このうち十三人は獄中で

病のため没してこの地に葬られた。

現在七基を残し六基は

遺族に引き取られたという。

心から冥福を祈る。」

人権意識が乏しい時代、

「願い出て」という言葉は、

どうしても素直には読めません・・

立派に勤められたとは思いますが・・

そして、

石段を登って墓地に到着。

「鹿児島県人墓地」。

墓石の文章後半に

「永年祭祀掃除の代価として

金三十円を瑞鳳寺に寄附し

荒廃せぬように依頼した。」

このように刻まれています。

明治十二年の30円は今の価値では

70万〜100万円ほどでしょうか。

祭祀と掃除、荒廃しないようにとの

手厚い配慮に頭が下がります・・

合掌。

ここで泣けるものを発見・・

城山から見た桜島・・・です・・

鹿児島県人にとっての桜島は、

心のふる里というか、

特別なもの。

お墓の住人もこの絵を見て

きっとお喜びになっているでしょう・・

桜島大根・・・

参拝の後、

妻のナイスプレーが発動(笑)

墓地は仙台市街が見渡せる

高台(崖の上)にあり、

景色を見ようと、

崖の近くまで行ってみました。

そこで妻が見つけたのが、

こちらです。

「大根畑だ〜!!」と妻が一言。

鹿児島県人墓地の横に

なんで大根畑なんだろう?

そう思った瞬間

「あ!桜島大根だ〜!」

二人して雄叫びをあげていました。

ここに育っているのは普通の大根ですが、

亡くなった方々が

故郷を懐かしく思えるよう

大根を植えたのかも知れません・・

いや、

きっとそうでしょう・・・

 

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