豊橋市役所・とよはし博物館

捨て難い名前
豊橋市の名は、
明治時代初期、三河吉田藩から
豊橋藩に改名した時に遡ります。
豊橋という名前もいいけれど、
戦国好きの僕としては、
「三河吉田市」だったとしても
なかなか良い響きで、
ちょっと捨て難い気がしています(笑)
眺望
手筒花火体験で大盛り上がりした後は、
窓からの景色を眺めてみます。
吉田城跡が広がる東側。
北東側には豊川(とよがわ)、
その手間には吉田城の鉄櫓が
ほんの少し見えています。
西側には手筒花火発祥の地、
吉田神社御社殿の屋根が見えています。。
ズームして「吉田神社」を撮影。
豊橋駅方面の南側。
とよはし物語館
次に豊橋の歴史などの展示へ。
市役所の模型。
僕jたちがいるのは、
右側のビルの13階です。
「とよはし物語」
豊橋市と言えば、路面電車推し。
パネルの上半分が豊橋市の歴史、
下半分は路面電車(市電)の歴史と
全く均等に案内されていて、
深い「電車愛」を感じますね!
豊橋市発足は、
日露戦争終結の翌年の明治39年(1906)
その時の人口は約37.000人。
現在は370.000人ほどで約10倍。
市電開通は大正14年(1925)で、
僕たちはキリ良く?
その100年後に訪問しています(笑)
吉田城跡は陸軍歩兵十八連隊が入り、
「軍都」豊橋として繁栄。
その歩兵十八連隊は、
昭和19年6月、
サイパン・グアムで玉砕(全滅)し、
その歴史を閉じています・・・
全国の中核都市同様、
豊橋も空襲で大被害を受け
焼け野原に・・
電車は戦後復興で道路幅を広げ、
複線化され、数少ない路面電車として
現代まで生き残る事に・・・
案内には、
「昭和40年代の交通渋滞によって
各地で路面電車が邪魔者扱いされた時も、
豊橋の市電はこの時の買収や
戦後の土地計画で整備された
広い道を走ることが出来たのですから、
歴史の皮肉かもしれません。」
このように結ばれています。
僕は、皮肉ではあるものの、
やはり空襲で犠牲となった方々や、
玉砕した第十八連体の御英霊たちの
豊橋を思う気持ちを生き残った人が、
受け継いだのだと思います・・・
一息つく場所も
こんな感じで市電です(笑)
しゅっぱ〜つ進行!
運転手体験が楽しくて仕方ない妻(笑)
古い運転台もあります。
足を踏んで「チンチン」と鳴らす妻。
懐かしいチンチン電車を
耳からも体験できるなんて、
ホントに思い出に残りますよ!
「探してみよう!市電沿線スポット」
ここでの注目は真ん中下の「狐塚」です。
豊川稲荷の「霊狐塚」に
参拝したばかりの僕たちには、
めっちゃ気になる場所ですが、
やはり豊川稲荷関連かも知れません・・
市電今昔。
2011年のデータで見ると、
豊橋市電では、
14両の車両が走っています。
戦災からの復興。
高度成長期の到来。
昭和39年(1964)、
新幹線駅も出来、活気あふれる頃。
調和のとれたまち。
注目は真ん中の緑色の部分、
昭和55年(1980)、
「市民球場オープン
廃止ではなく延長」。
これによってめでたく
「日本一の急カーブ」が
誕生しています。
何事も一番じゃないと
人に記憶してもらえないもの。
「路面電車日本一の急カーブは
どこの市にある?」
こんなクイズ番組があれば、
「豊橋!」っと
確実に答えられます(笑)
新たな時代へ。
平成18年(2006)の
市政施行100周年、
路面電車の歴史は、
平成20年(2008)新型車両
「ほっトラム」登場で終わっていますが、
勝手ながら、
「令和7年(2025)
市内線開通100周年」を
付け加えておきます(笑)
13階から一階へ。
豊橋市役所、楽しかった〜!