豊津神社(福岡県みやこ町)
鎮守社だったのか・・な?
豊津神社は、
豊前国分寺のお隣に鎮座しています。
寺社が、こんな位置関係にある場合、
明治初期の神仏分離までは、
神護寺や鎮守社といった
持ちつ持たれつの関係が多く、
何となくそんな気がしていると、
やはりその痕跡を見つけました(笑)
二の鳥居と拝殿には、
「山王宮」という神額が
掲げられていたのです。
山王宮の総本社は、
天台宗を広めた最澄が、
山王権現として祀った、
滋賀県大津市の日吉大社で、
比叡山延暦寺の鎮守社です。
と、
ここまで書いた時、
一つ大きな疑問が発生(汗)
お隣の豊前国分寺は、
平安時代には天台宗だった
時期もあるようですが、
江戸時代初期頃から現代まで、
弘法大師(空海)が広めた
「真言宗」として続いているのです。
結論は全く出ませんが(笑)
ここが鎮守社だったか否かは別として、
寺社ともに地元の人々からの
崇敬は篤く、大切にされてきた事は、
間違いないでしょう。
参道
豊前国分寺から徒歩1分、
寺社が隣にあるって、
やはり便利です(笑)
参道は、まるで芝生広場のようで、
目にも心にも優しく、
歓迎されている感満載です。
一の鳥居。
ここで、
気になるものを発見。
柱の文字。
建立は大正六年六月。
この左側に、
「北海道北見國紋別郡中湧別村」
こう刻まれています。
九州の神社に、
北海道の人が寄進するとは、
かなり珍しい事でしょう。
明治初期、豊津藩から
北海道開拓で移住した人からの
寄進ではないかと推察しますが、
寺社の関係同様、
確定した事はわかりません。
二の鳥居へ。
文化八年(1811)建立の
二の鳥居の神額には、
「山王宮」の文字が刻まれています。
冒頭に書いたように
江戸時代には、
「日吉神社」系だったのでしょう。
手水舎。
こちらは
先代の手水鉢でしょうか・・・
小ぶりで、素朴なデザインが、
僕を大いに魅了してくれます。
御社殿
手水を完了後、御社殿へ。
拝殿。
参拝。
拝殿には、天井絵を挟んで、
豊津神社と山王宮、
両方の神額が掲げられています。
本殿。
彫刻が素晴らしい!
境内社
次に本殿左右に鎮座する境内社へ。
貴船神社。
蟇股は小笠原家の家紋、三階菱。
左から白竜権現、権現、三宝荒神、
正八幡、水神、天神、大日如来。
御神木
しめ縄は掛けられていませんが、
おこがましいとは思いながらも(笑)
勝手に御神木に認定したのが、
こちらのクスノキです。
高さの比較で妻登場。
いつものツーショットにて
参拝は完了です。