豊前国分寺(福岡県みやこ町)後編

 

みやこ町の本気度に感謝

福岡県京都郡みやこぐんみやこ町は、

豊前国分寺をはじめ

国府跡や古墳など史蹟も多く、

僕たちを魅了してやまない町ですが、

その大いなる魅力の発信基地が、

みやこ町デジタルミュージアム」という

素晴らしいウェブサイトです。

このサイトの本気度のお陰で、

僕たちのみやこ町の散策は、

より深いものとなり、

多くの思い出を頂くことが出来ました。

みやこ町さん、ホントにありがとう!

三重塔

豊前国分寺の本堂に参拝後、

三重塔へと向かいます。

パンフレットの鳥瞰図。

三重塔は本堂の西側です。

パンフレット真ん中の

「三重塔ひとくちメモ帳」から

抜粋すると次のようになります。

「明治29年(1896)に建立され、

当時は「明治記念大宝塔」と

呼んでいました。

高さ(総高)23.5m。

三重塔建立に尽力したのが、

豊前国分寺中興19世住職、

宮本孝梁(みやもと こうりょう)と

三重塔建立を差配した大工棟梁の

緒方義高さんで、

緒方さんは塔の竣工直前、

明治28年9月に亡くなりました。」

このようになります。

大工の棟梁さんが、

竣工を見ずして亡くなったという話、

愛媛県大洲市の

少彦名神社の参籠殿と同じです・・・

命と引き換えにする位に

全身全霊の仕事だったという

解釈でいいのでしょうか・・・

ただ、緒方義高さんの魂は、

間違いなく、今ここに生きて、

僕たちの訪問を喜んでくださっているに

違いありません・・・。

石橋を渡り三重塔へ。

まずは周囲の仏様にご挨拶。

十三仏。

仏様は三重塔を守っているかの如く

沢山いらしゃいます。

そして、三重塔の撮影へ。

南東側から。

南側から。

南西側から。

正面(東側)から

弁天池の石橋とともに。

星座の彫刻

冒頭に書いた

「みやこ町デジタルミュージアム」には、

次のように案内されています。

「この塔には様々な意匠が

凝らされていますが、

中でも二層目の軒下にある梁に、

12星座が彫刻されているのは

興味深い特徴です。

これは、

仏教の宇宙観を表現したものであり、

12星座そのものが仏教の守護神として

扱われてきたことに由来しています。」

もちろん、

これは必見ですよ(笑)

ふたご座。

おとめ座。

かに座。

てんびん座。

さそり座。

いて座。

みずがめ座。

やぎ座。

うお座。

おひつじ座。

おうし座。

しし座。

おとめ座とふたご座の二人(笑)

国分寺跡

次に三重塔を背にして

国分寺跡を散策します。

ここは公園として

美しく整備されています。

講堂跡(基壇のみ復元)。

案内。

三重塔を通り、

国分寺案内所へ。

案内所もベンガラ色で三重塔と

コーディネートされています(笑)

胎蔵界曼荼羅図。

案内には、

「塔の二層目のはりに

彫刻された(十二宮)十二星座は、

胎蔵界曼荼羅図を

参考にしたと伝えられています。」

このように書かれています。

国分尼寺跡の案内。

「豊前国分寺の歴史」

案内を抜粋要約すると

「聖武天皇が全国に建立を命じた

国分寺は正式名称を

「金光明四天王護国之寺」といい、

国分尼寺は「法華滅罪之寺」といいます。

それぞれの意味は、

金光明四天王護国=仏の力で国を護る

法華滅罪=仏の力で罪を滅ぼす

豊前国分寺も756年頃までには

完成していたと考えられます。」

このように書かれ、

その後の衰退から復興の歴史が、

書かれています。

昭和60年に修復される前の三重塔は、

かなり傷みが激しかったようで、

軒が落ちかかっていますね・・・

やはり大切にする人々気持ちと、

その裏付けとなる

資金あってこその現在の姿だと

改めて感じた次第です。

 

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