筑波海軍航空隊記念館・号令台周辺
8ヶ月後の「本番」
僕たちにとっての令和七年は、
筑波海軍航空隊記念館の年でした。
4月の茨城旅行の最後の訪問地として
30分ほど「下見」して(笑)
その8ヶ月後の12月、
今回「本番」を迎えたのです。
前回に来た時のブログでは、
「じっくり体験するならば
3時間以上必要かも」と書いていて、
その感覚をもとにして今回の滞在は、
3時間半としました。
その結果は・・・
時間足りなかった〜!(笑)
旧筑波海軍航空隊旧司令部庁舎
前回は、雨が降る中の訪問でしたが、
今回は打って変わって青空が全開です!
お天気もちゃ〜んと順番を
考慮してくれているのですね(笑)

朝9時過ぎ、駐車場に到着。

まずは旧司令庁舎へ。

ちなみに8ヶ月前は、
こんな感じでした・・。

正面。

再度案内を確認。
以下、全文です。
「かつてここには、
旧海軍の航空隊がありました。
1934年(昭和9年)に
霞ヶ浦海軍航空隊友部分遣隊として設立、
1938年(昭和13年)に
筑波海軍航空隊と改称され、
同年海軍航空隊司令部庁舎が
建てられました。
多くの若者が主に戦闘機の操縦訓練を
行いましたが戦局が厳しくなると、
体当たりを前提とした
航空隊設立の準備が進められ、
その後、特攻隊が組織されました。
1945年(昭和20年)の
太平洋戦争終結と共にその役割を終えた
旧海軍航空隊司令部庁舎は、
ほぼ当時の姿のまま現存し、
現在記念館として公開されています。
多くの史跡を現在に伝え、
高い文化的価値を有すと共に戦争、
特に特攻の歴史を後世へ伝える
シンボルとなっています。」

玄関。
後ほどガイドツアーに参加した時、
「スロープ付きの車寄せと庇は、
戦後病院として使われていた時、
増設されたものです」
こんな説明があったのを思い出します。

前世が特攻隊員の妻(多分)は、
ここでテンション爆上げです!

正面右側からの庁舎。
号令台
内覧の前に周囲の散策へ。
ここからは前回と全くダブりますが、
時を置き、天候も違えば、
見方や考え方も変化するもの、
改めてじっくりと体験すると
何か違ったものを感じられるはずです。

遺構の一つ号令台。

案内。
「隊員たちが訓練などで使用した
グランドの中央に位置した号令台。
当時は台の上部に
落下防止の柵が付いていました。
訓練や集会、行進等の際、
台の上から指示が発せられました。
後部にドアが付いており
中に入れる構造になっています。
地下戦闘指揮所に
つながっているという伝承があり、
地下通路(地下下水道)へ繋がる
マンホールなどが
近隣にあったのかもしれません。」
実は近年の調査で、
「地下通路」の距離は、
かなり長い物だと
分かってきています。
それはここが本土決戦の
最重要拠点でもあったため、
海軍も力を入れていた証拠でしょう。

妻、号令台に敬礼!

号令台正面。
背後に見えるのは展示室などがある
筑波海軍航空隊記念館の建物です。

旧司令部庁舎と共に。
かえり雲
次に号令台横のモニュメントへ。

正面。

「彫刻「かえり雲 流政之作」
「世界的彫刻家として知られる流政之さん
(2018年7月7日95歳で死去)は、
海軍予備士官として
筑波海軍航空隊に在籍し、
資料の焼却など、
隊の終戦処理を見届けました。
同期の多くを特攻で亡くした経験が、
流さんの作品に
大きな影響を与えたと語られ、
911テロで崩壊した
ニューヨーク世界貿易センタービル前の
自作品のモニュメントが
救助活動時に撤去されたという経験も経て、
流さんの強い寄贈の希望により、
平和への願いを込めて、
2013年11月23日、
設置の除幕式が行われました。」
90歳ころにこの作品を生んだとは、
流政之さんは、
葛飾北斎なみの凄ジジイ(笑)ですよ!
特攻隊にいながらにして
運よく生き残るとは、
「後世に伝える使命」を背負った
「天から選ばれし者」
だったからこそなのでしょう・・

横の模様が旭日旗にも見えます・・

台座をよく見ると流政之さんが、
ここに在籍していた証がありました。
「筑波海軍航空隊
戦闘機隊 神風特別攻撃隊
1943ー1945」
この後、館内へと向かいます。
(続く)