ヴェルニー公園/小栗上野介忠順胸像
クローズアップ
幕末の江戸幕府を支え、
日本の近代化に邁進するも、
最後は官軍に斬首され、
新たな日本を見る事なく、
この世を去った小栗忠順。
令和3年の大河ドラマ「青天を衝け」で、
僕はその名前を初めて知り、
ずっと気になっていた人です。
その小栗忠順が、
来年の大河ドラマ「逆賊の幕臣」で、
主役になると知ったことから
俄然、ヴェルニー公園に建つ、
小栗上野介忠順胸像が、
僕の心にクローズアップされ、
「YOKOSUKA軍港めぐり」の
ついでに(汗)
小栗さんに会いに行く事となったのです。
慰霊碑
ヴェルニー公園は、
2回に分けて散策しました。
「YOKOSUKA軍港めぐり」の乗船時間は、
15時〜15時45分で、
その前後の時間を利用して
公園を巡ったのですが、
話がややこしくなるので(笑)、
乗船前に全て散策した体で書きます。

目指す小栗さんは、
横須賀港の岩壁横、
細長い公園の真ん中あたです。

ここを右へ曲がると、
慰霊碑などがあり、
気になったものを撮影&碑文を
書き出してみます。

「軍艦長門碑」
「ありし日の
聯合艦隊旗艦長門の
姿を こゝに留めて
昭和激動の時代を
偲ぶよすがとする
政一書」
第二次世界大戦で、
終戦まで沈まなかった
日本で唯一の戦艦「長門」。
連合艦隊が、ほぼ壊滅した
レイテ沖海戦(サマール沖海戦)を
生きながらえたのは、
瀬戸内海で謎の爆沈を遂げた
姉妹艦「陸奥」の魂が宿り、
守護されていたのかも知れません・・

軍艦の艦橋を発見!
こんな石碑、初めて見ました。

「國威顕彰」と刻まれています。
デザインは、
僕が小学生の頃作ったプラモデル、
重巡洋艦「高雄」型の艦橋のようで、
台座周囲の銘板などは
全部取り外されていますので、
恐らく、終戦後GHQの命令で、
戦争賛美的なものとして、
撤去させられたのでしょう。
ちなみに、
高雄型重巡洋艦4隻のうちの3隻
(愛宕・鳥海・摩耶)が、
レイテ沖海戦で沈没しています。

「軍艦山城之碑」

レリーフ。
第二次世界大戦時には旧式となり
内地で練習艦として
使用されていた戦艦山城も
レイテ沖海戦に駆り出され、
米艦隊からの集中攻撃で撃沈、
約1500名の乗組員は、
殆どが亡くなっています・・
合掌・・
潜水艦
石碑群の突き当たりは横須賀港です。

向こう岸に見えるのは、
潜水艦じゃないですか!

2隻とも「おやしお」型のようです。
ここに来る前に食べた
「せとしおカレー」の
「せとしお」と同型艦ですから
もしかしたらどちらかが、
「せとしお」かもですね!
ドライドック
潜水艦の右側には、
古くからのドライドックがあります。

案内。

正面に見える3つのドックのうち、
一番右側の1号ドックは、
明治4年(1871)の完成で、
日本最古の西洋式の石造りドックで、
今も現役で使われていると
記されています。

目線が水平なので、
ドック自体の形は分かりませんが、
「B」と表記されたドックの扉は視認でき、
最古のドックを感じることが出来ます。
小栗広場
そして主役、小栗さんへ!

ガゼボの中には、
ピアノが置かれていて、
指定日には弾けるようで、
横須賀旅の直後に見た、
「護衛艦まや」を特集したテレビ番組で、
カズレーザーも来ていました(笑)

もうすぐ小栗広場です。

案内を確認。
その時ふっと海を見ると・・・

「YOKOSUKA軍港めぐり」で、
僕たちが乗る予定の船が、
港に戻って来ていますよ!
ならば、早く巡らねば(笑)

遂に小栗さんとご対面!
左は「ヴェルニー」さんです。

小栗上野介忠順胸像。

「小栗上野介忠順(1827〜1868)」
以下、全文です。
「日本初の遣米使節をつとめ、
外国奉行や勘定奉行など
徳川幕府末期の要職を歴任し、
フランスの支援のもと
横須賀製鉄所(造船所)建設を推進した。
軍政の改革、フランス語学校の設立など
日本の近代化に大きく貢献したが、
大政奉還後に徹底抗戦を主張したため
役職を解かれ、領地の上野国権田村
(こうずけのくにごんだむら)
(群馬県倉渕村)で
官軍により斬首された。」

斜めから。

知的なお顔をアップ。
そして泣けるのがこちらです・・

丸みを帯びた石が安置されていますが、
これはただの石ではありません。

「記念石」と名付けられ、
以下の案内があります。
「小栗公が斬首された上野国権田村
(現在の群馬県高崎市倉渕町、
旧倉渕村)の烏川水沼河原の石。
昭和27年に第1回開港祭及び
小栗上野介、ヴェルニー胸像の除幕式が
当公園で開催され、
それを機会に、昭和28年、
倉渕村(当時)から寄贈された。」
慰霊碑でもお墓でもないけれど、
合掌せずにはいられません・・・
しんみりなりながら、
お隣のヴェルニーさんへ。

「フランソワ・レオンス・ヴェルニー
(1837〜1908)」
「フランスの造船技師で、
海軍増強をめざした徳川幕府の要請により
横須賀製鉄所(造船所)建設の
責任者として1865年来日した。
明治維新後も引き続き
その建設と運営の任にあたり、
観音埼灯台や走水の水道の建設、
レンガの製造のほか、
造船以外の分野でも広く活躍し
1876年帰国した。」
ヴェルニーさん、
日本に貢献してくれてありがとう!

お顔アップ。
乗船時間が迫って来たので、
ここで一旦公園を出ます。
(続く)