天海僧正毛髪塔(東京都)

 

108

上野恩賜公園(通称・上野公園)の

西側の一角に

天海僧正毛髪塔は建っています。

この人が江戸幕府の黎明期に

大活躍した事を知らなければ、

見過ごすような場所です(笑)

こちらは比叡山延暦寺の絵看板で、

日光東照宮の陽明門と拝殿唐門の

中庭に立っている天海さんです。

この方、今から400年前なのに

なんと108歳まで生きています。

108というのは、

煩悩の数と同じですから

それを全て克服した証でしょうか?

やはり偉人というのは何か違いますね!

今川〜上野

杉並区今川町の観泉寺にある

今川氏真のお墓に参った後は、

上野を目指して移動です。

今川2丁目バス停から乗車。

西荻窪駅で下車し、JRへ。

駅構内で見つけた

次回の東北旅行で使う予定の

JR東日本エリア期間限定乗り放題、

「キュンパス」の広告を見て

東京にいながらにして心は既に東北へ(笑)

ホームで見つけた広告。

以前話題になった「ビリギャル」を

輩出した塾のようです。

中央線快速で神田へ。

神田駅に到着。

山手線に乗り換え上野へ。

神田駅名物、

「お口くちゅくちゅモンダミン」の

発車メロディーに見送られて出発!

上野駅公園口。

ここで公園の地図板を見ていたら

案内をしていたおじ様が

「どこへ行かれますか?」

そう声をかけてくれ、

僕が「上野東照宮へ行きます」

そう答えると、

地図に印をつけながら

懇切丁寧に説明してくれたのです。

こちらがおじ様の手描きが入った地図。

実にわかりやすいですね!

ただ、実際僕たちが目指したのは、

地図の左端、

彰義隊墓所や西郷隆盛像などの方向で、

上野東照宮は咄嗟に出た言葉でした(汗)

おじ様、ごめんちゃい!

そして、

東京の素敵な思い出をありがとう!

途中、枯れそうでも

しっかり生きている

妻好みの「ムクノキ」を発見。

こんな空洞もあるのに、

枝ぶりは元気なんですよ。

この生命力、見習わなきゃ!

上野の森美術館では、

モネ展があってるようで、

めっちゃ人が並んでいます。

天海僧正毛髪塔

美術館を背にして、

少し行くと見えてくるのが

天海僧正毛髪塔です。

正面。

中へ。

「天海僧正毛髪塔(都指定旧跡)」

案内を書き出すと以下になります。

「天海僧正は、江戸初期の

天台宗の高僧で諡号を慈眼大師という。

天文五年(1536)に

奥州会津郡高田郷(福島県)で生まれた。

十一歳で出家、十四歳で比叡山に登り

実全に師事して天台教観を学び、

さらに三井寺や奈良で

諸教学を学んだといわれる。

のちに江戸崎不動院(茨城県江戸崎町)、

川越喜多院(埼玉県川越市)などに住し、

徳川家康の知遇を受けた。

元和二年(1616)家康が没すると、

その神格化にあたり権現号の勅許を計り、

合わせて日光廟の基本的構想をたて

造営を指導した。

その後も将軍秀忠・家光の帰依を受け、

江戸城鎮護のため

上野忍岡に寺院の建立を進言し、

寛永二年(1625)に寛永寺を創建した。

寛永二十年(1643)に子院の本覚院にて

108歳で示寂。

遺命により日光山に葬られ、

この地(旧本覚院跡)には

供養塔が建てられた。

後に

本覚院伝来の毛髪を納めた塔も建てられ、

毛髪塔と呼ばれるようになった。」

さらに、寛永寺のサイトによれば、

遺髪塔は弟子の晃海(こうかい)が

建立したと書かれています。

天海さんを心から

慕っていたのでしょう・・

左右の燈籠には「厳有院殿 尊前」と

刻まれていますので、

元々は、徳川家綱の霊廟前に

安置されていたものでしょう。

上野戦争と第二次大戦の空襲で

荒廃してしまった寛永寺ですが、

それでもこうして燈籠が残っているのは、

有難い限りですね。

毛髪塔に参拝。

ブログを書きながら

改めて写真を見て気づきましたが、

供養塔が手前の宝塔の真後ろに

チラッと見えていますね。

宝塔を供養塔と思っていました(汗)

ま、参拝したんだから

天海さんも喜んでは

いただけたでしょう(笑)

 

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