ヴェルニー公園/戦艦陸奥主砲

 

横須賀と言えば・・

昭和50年代が青春の僕、

横須賀のイメージは、

ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの

「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」と

山口百恵の「横須賀ストーリー」です。

そんな記憶のみを引っさげ、

初めて横須賀の中心部へ・・・

港のヨーコがいたのかどうかは

分かりませんが、

横須賀は軍港だけでなく見所が多く、

これっきりとは言わず(笑)

何度でも訪問したい町です。

逸見波止場衛門へみはとばえいもん

ここからは、

「YOKOSUKA軍港めぐり」の

前後2回に分けて散策した

ヴェルニー公園の後半部分になります。

前半では案内図の10番、

小栗広場までを見学し、

後半戦は9番の逸見波止場衛門から

スタートです。

逸見波止場衛門(公園内側)。

以下、案内全文です。

「通称 逸見波止場衛門は

1930年頃に造られ、

正式名称は

「海軍番兵塔・軍港正門門柱」と言い、

横須賀軍港の正門でした。

2棟ある塔の屋根は銅板のドーム状で、

頂上の飾り(クーポラ)や庇の形状から

少年の帽子が連想されます。

当時は、この門を入ると、

正面に、海軍鎮守府や海軍工廠のある

横須賀軍港に向かうための船着き場があり、

横須賀軍港への船が発着していました。

門には番人がおり、

関係者以外が入らないよう

見張っていたと思われます。

海軍鎮守府や海軍工廠は、

現在、この門のある

ヴェルニー公園の対岸にみえる

在日米海軍横須賀基地に置かれていました。

逸見波止場衛門は、

日本遺産構成文化財の一つとして

設定されており、海軍の歴史と

面影を今に伝えてくれます。

逸見波止場衛門は、

ルートミュージアムの

サテライト施設でもあります。」

公園外側から。

庇の形状、

確かに少年の帽子ですね!

帽子の庇と、帽子のポーズの妻(笑)

正面。

厳格な軍事施設に、

こんな可愛らしいデザインを考えた人、

ユーモアあって素敵です!

戦艦陸奥主砲

さらに西へ歩き、

戦艦陸奥主砲へ。

主砲・真横から。

案内。

以下、陸奥の経歴を要約します。

「大正10年(1921)

横須賀海軍工廠で竣工。

昭和18年(1943)瀬戸内海

柱島沖で火薬庫が爆発し沈没。

昭和45年(1970)主砲引揚げ。

昭和49年(1974)から

東京、船の科学館にて展示。

平成28年(2016)この地に移転。」

「陸奥の歴史」は、

「煙突変更の歴史」でもあります。

5年ほど前、山口県の周防大島にある

陸奥記念館で知ったのが、

この「煙突問題」でした。

煙突から出る煙が館内に入り込み、

何度もやり変えて、

最終形が一本煙突となった陸奥。

この問題も謎の爆沈と何らかの

因果関係があるやも知れません。

「戦艦 陸奥 主砲」

射程距離38Kmの40cm主砲、

三笠の30cm主砲の射程10Kmに比べ、

隔世の間がありますが、

もはや航空戦で勝敗がつく時代、

陸奥の居場所は、

限られていたのでしょう・・

主砲&妻。

往時を彷彿とさせる

この角度からが、

やっぱカッコいいな!

40cm弾と主砲。

ティボディエ邸

汐入駅に向かう途中、

最後の訪問地、ティボディエ邸へ。

エントランス。

以下、案内の抜粋です。

「幕末の1865年、江戸幕府の勘定奉行

小栗上野介が中心となり、

フランスの海運技師

レオンス・ヴェルニーを招き

横須賀製鉄所の建設が始まりました。

ティボディエ邸は、

横須賀製鉄所副首長であった

ティボディエの官舎として、

1869年頃に建築された

本州最古の西洋館です。

よこすか近代遺産ミュージアム

ティボディエ邸は、

その当時の外観を再現するとともに、

館内では、木骨煉瓦造りの壁と

トラス構法の屋根構造を、

当時の建物から移設した部材で

復元しています。」

西側から。

東側、玄関から。

ここまでで、

ヴェルニー公園の散策は完了です。

 

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