赤淵神社(兵庫県朝来市)後編
古いもの好きにお勧め
「古き良き時代」という言い方は、
何となく「今はダメな時代」みたいに
感じられてあまり好きではありません。
今だって、「今の良き時代」ですからね。
しかし、
「古き良き物」は大好きです(笑)
寺社の建築物、鳥居、狛犬、燈籠など
江戸時代以前のものがあると、
ついつい時間が
経つのも忘れてしまいます。
そんな歴史を刻んだものたちが
沢山見られる場所、
それが赤淵神社です。
古い物好きの方には、
大いにお勧めですよ(笑)
本殿へ
勅使門で感動した後は、
本殿へと向かいます。
太い鉄枠で固められた本殿の案内板。
室町時代初期に建てられたもので、
偶然にも僕の11歳の誕生日に
国の重要文化財に指定されています(笑)
石段で御社殿へ。
石段右側の燈籠群。
右から文政十一年(1828年)、
安永三年(1774年)、
享保九年(1724年)の寄進と
いずれも江戸時代中期から後期のものです。
江戸時代の50年ごとに寄進された
三世代の燈籠を同時に見られるなんて、
何と贅沢な事でしょう!
石段左側の対になる燈籠群。
やはりこうして比較すると、
年代が古いものほど
素朴感がありますね。
拝殿にて参拝。
拝殿左側に鞘橋で繋がった建物。
神饌所(神様の食事を調理する場所)
かも知れません。
拝殿右側から本殿へ。
板玉垣から中が見えそうなので、
ちょっと覗かせていただきます。
拝殿と本殿の間には、
渡り廊下風の木橋が架けられ、
この空間はとても風情がありますね。
本殿自体は立派な鞘堂(覆屋)で
すっぽりと保護されていますが、
案内にあった室町時代の建物も、
格子窓からわずかに見えています。
お~見えました!
良かった~(笑)
拝殿前でツーショットで本殿参拝完了。
境内社など
赤淵神社には
境内社など多くの見所がありますが、
僕が一番気になったのが、
こちらの礎石です。
三重塔心柱礎石。
実際にあった三重塔は、
明治の神仏分離で、壊されたのか、
それとも、
もっと昔に建っていたものなのか、
想像を逞しくしてしまいます。
枚田稲荷神社。
「大神宮」と書かれた両脇には、
「金毘羅大権現」、
「秋葉山大権現」と刻まれていますので、
この石碑を拝めば、
一度に三社に参ったのと
同じ御利益があるのでしょうか?
本殿裏側の池に鎮座する境内社。
場所からして、
厳島神社系と推測出来ますが、
御祭神は不明です。
池のほとりの境内社。
金刀比羅宮。
中を拝見すると、
古くて渋い本殿が鎮座しています。
しかも屋根は杮葺(こけらぶき)です。
絹巻社。
三寶荒神。
秋葉神社。
護国神社。
相撲桟敷
赤淵神社の案内などには
書かれていないようですが、
僕が勝手に「相撲桟敷」と付けたのは、
この境内で竹田城の麓に鎮座する
表米神社の相撲桟敷と
同じ匂いを感じたからです。
遥拝所的な建物の先に広がる光景は、
相撲桟敷だったのではと連想させます。
土俵を中心にスロープ状になった観覧席。
そして、土俵の先には、舞台もあります。
下側から見ると石垣も積まれていて、
スロープが良く分かりますね。
やはり「観覧席」でしょう。
参考までに表米神社の
相撲桟敷はこちらです。
う~ん同じ匂いがする~(笑)
しかも両社とも同じ御祭神
(表米宿禰神)がいらっしゃるし!
神宮寺の名残
ここは江戸時代までは
神仏習合の神社(寺)でしたが、
その名残を感じられる場所があります。
社務所の並びで見かけた建物は、
見るからにお寺の形をしています。
そして、その前にあるのが、
こちらの仏像群です。
石仏の古さからすると
やはり明治維新前、
神仏習合の時代からのものでしょう。
今日の推測
御社殿の石垣前の
灯籠を見て勝手に推測しました。
たった二基の灯籠を設置するには、
巨大過ぎる長方形の台座に注目。
奉献の文字が右から左へ
書かれていますので、
台座は戦前のものでしょう。
そして、
明らかに灯籠とは無関係な鉄筋が、
数本残っています。
恐らくこの上には金属製の神馬像が
載っていたのではないでしょうか。
戦時中の金属供出で、
主(あるじ)がいなくなった台座が、
このように使われているのを見ると
改めて平和な時代に感謝しかありません。