赤穂城(兵庫県赤穂市)(3)
櫓台のみ
天守台は築かれたのに、
天守が建てられなかったお城は、
いくつもありますが、
櫓台の石垣の上には、
必ず櫓が建てられていたものだと
思っていました。
ところが、
それは違っていたのです(汗)
本丸の案内には、
「本丸は、中央に
藩主の屋敷(本丸御殿)
南東部には天守台、
刎橋門、厩口門の3門をもつ。
天守台には天守閣は当初から築かれず、
4箇所の櫓台のうち
東北隅櫓台のみ隅櫓が築かれ、
他は横屋枡形として配されていた。」
このように書かれています。
櫓台の外側を土塀で囲い、
鉄砲狭間を設けていたのでしょう。
今までずっと気づかなかっただけで、
他にも櫓台のみだったお城は
あるのかも知れませんね。
「くつろぎ」
僕たちがくつろぐのではなく、
池泉の名前が「くつろぎ」なのです。
復元された「くつろぎ」と
本丸門西側の風景。
天守台で見た案内には
「本丸北西部に
「くつろぎ」と呼ばれた池泉もあり」
と書かれています。
北西部の土塁も綺麗に整備され、
思わず登りたくなりますが、
「登っちゃダメ!」の
お達しに従い(笑)、
下から撮影しています。
本丸御殿
ここでは、本丸御殿の建物跡を
床高だけ高くし、
コンクリート盤上に部屋の間仕切りを示し、
板間、座敷間、土間、敷居、廊下、
柱、縁などを表現しています。
再現された御殿の絵図。
床高で示された御殿跡。
南側から撮影。
御殿の南側には、
石組暗渠(排水路)もあります。
「国名勝
赤穂城跡本丸庭園 大池泉」
以下、案内の要約です。
「本丸庭園は、
寛文元年(1661)
赤穂城の完成時期と同じ頃
作られた庭です。
昭和59年(1984)の
発掘調査により
全容が明らかとなり、
見つかった遺構を
そのまま活用して浅野・森時代の庭園を
復元整備したもので、
平成14年(2002)には
国名称に指定されました。」
凄いですね!
復元したものが、
国名勝に指定されたとは。
やっぱり「本気で取り組んだ」
素晴らしい結果でしょう!
大池泉を眺める現代の殿様、
いいえ、お姫様かな?(笑)
お姫様のいる縁側の反対、
南側から見た大池泉。
天守台
次は本丸の目玉、天守台へ。
朝日に照らされる天守台。
隅石は算木積み、
石の加工は、
切り込こみ接ぎがメインの
いかにも江戸初期という
雰囲気を漂わせています。
石段の段差は大きく、
かなり足を上げないと
引っかかりそう?(笑)
「国史跡 赤穂城跡」
規模や、赤穂城の歴史などが
詳しく案内されています。
「赤穂城本丸」
以下、案内文です
「赤穂城は、藩主御殿のある本丸と、
その周囲を取り囲む二之丸、
そして北側に曲輪が取り付く
三之丸の三つの曲輪によって
構成されてます。
二之丸には二之丸庭園をはじめ
馬場や米蔵などがあり、
三之丸には城の守りを兼ねて
家臣が住んでいました。
藩主の住んでいた本丸には、
本丸御殿南側に大池泉が広がり、
御殿の内部から
鑑賞することができました。
このほか御殿内部の坪庭や、
本丸北西部に
「くつろぎ」と呼ばれた池泉もあり、
藩主の生活を潤しました。
なおこれらの池泉のみならず
生活のための水は、
すべて約7Km上流から取水された
旧赤穂上水道によって賄われました。」
航空写真を見ると、
まるで函館の五稜郭を思わせる、
星型に近い斬新な本丸の形ですね。
続いて、
「赤穂城天守台からの風景」の案内では、
江戸時代は、天守台のすぐ目の前は海。
要するに海側は
天然の要害だったという訳です。
天守台上に到着。
天守台から西側の風景。
大池泉と御殿跡、本丸門。
東北、厩口門方面。
唯一櫓が建っていた、
北東隅の櫓台。
今ではアオサギちゃんが、
隅っこで外を見張っています(笑)
天守台にてツーショット完了。
厩口門(台所門)
天守台を降り、
本丸内最後の目的地、
厩口門へ。
門の全景。
高麗門の羽部分と、
両脇の石垣と土塀が、
ピッタリくっついているのが、
なかなか珍しい感じです。
左右ともに雁木があり、
左には二つの狭間、
右は一つの狭間と、
左右非対称になっています。
これは
何か意図があったのでしょうか?
外側(二之丸)から見た厩口門。
ここからは二之丸を再散策後、
二の丸庭園へと向かいます。
(続く)