2021/06/17

山中城(静岡県三島市)前編

 

兵どもが夢の跡

天正18年(1590年)

豊臣秀吉は北条氏を滅ぼすべく

小田原攻めに乗り出しました。

その前哨戦で落城したのが、

山中城です。

箱根10城という防衛ラインが、

あという間に崩れてしまった北条氏、

その滅亡のはじまりとなった場所ですが、

今は、その血なまぐさい戦いの

面影さえ感じられないほどに

芸術的な障子堀に感動し

まさに兵どもが夢の跡でした。

箱根街道

静岡市内から高速を使い、

途中、富士川サービスエリア

富士山に感動し、車で約2時間、

山中城の駐車場に到着。

無料駐車場は有り難し。

駐車場の端から橋を渡って森の中へ。

山中城の中には、

鎌倉街道が通っています。

ここは三島宿と箱根関所の中間。

街道脇の石仏にご挨拶。

そして、少し歩き森を抜けると、

山中城入口が見えてきます。

三の丸堀へ

限られた時間なので、

秀吉方が一番に殺到したという

岱崎出丸(だいさきまる)の散策はパスし、

障子堀が多く見られる西の丸や

本丸方面のみを散策します。

大手入口は意外とあっさりした感じ。

岱崎出丸とこの大手からの

秀吉軍の攻撃が、

戦いの趨勢を決めたようです。

当時ここに立っていたら、

鉄砲で蜂の巣にされていたでしょう(笑)

サイクリストには嬉しい設備。

箱根峠を自転車で・・・

考えただけで、尊敬ですね!

案内はさらっと読み、三の丸方面へ。

三ノ丸の堀。

緩やかなV字型で、

薬研堀っぽい雰囲気ですね。

西の丸・西櫓へ

山中城は、思った以上に整備され、

体力消耗は最小限ですみます。

田尻の池。

案内には、人と馬の飲水を

確保した場所と書かれています。

分岐は、障子堀方面へ。

元西櫓下の堀。

案内によれば400年前は、

もっと急斜面だったそうです。

そして、障子堀へと思い、

少し歩くとこんな光景が。

何と障子堀は崩れ、

災害復旧中・・・(汗)

しかし、よく見ると、

この付近だけが崩れたようで、

先を見るとちゃんと

障子堀が見えてきました。

なんかいい雰囲気!

お~これが障子堀の実物か~!

かなり興奮していたら

その先に富士山が

白い頭を出しているではありませんか。

何という光景でしょう!

ズームして富士山を撮影。

障子堀の案内板と富士山(笑)

「(前略)

西の丸と西櫓の間の堀は、

中央に太く長い畝を置き、

そこから交互に

両側の曲輪に向かって畝を出し、

障子の桟のように区画されている。

また、中央の区画には

水が湧き出しており、

溜まった水は南北の堀へ

排出される仕組みになっている。

このように水堀と用水路を兼ねた堀が

山城に作られることは非常に珍しく、

後北条氏の城の中でも特異な構造である。」

このように書かれています。

こんな山に空堀だけでなく

水堀が機能していたというのには

衝撃を受けますね!

動画でも撮影。

テンション上がって、

富士山バックにツーショット。

西櫓・西の丸鳥瞰図。

西櫓。

西木戸口跡へ。

お~ここからは、

畝堀&富士山の光景が見えますよ!

ズームするとさらに富士山の

存在感もアップ。

命懸けで戦った

戦国時代の方には申し訳ないほど

青空の下、楽しく山中城を

堪能させて貰っています。

三島市眺望地点。

この通りの光景がこちらです。

駿河湾、三島市街地、

愛鷹(あしたか)連山、

そして富士山と、素晴らしい眺望です。

西の丸の堀(障子堀)。

堀の案内と富士山(笑)

「(前略)

西櫓と西の丸の間は、

中央に太い畝を置き、

交互に両曲輪に向かって

畝を出しているが、

西の丸の北側では

東西に畝をのばして

堀内をより複雑にしている。

このような複雑な堀の構造は、

世に伝えられる

「北条流堀障子」の変形であり、

学術上の価値の高いものである。」

このように書かれています。

北条氏こんな凄い堀まで作って

頑張ったんだけど、秀吉軍は7万人、

4千人ではいかんともし難く落城・・・

(後編へ続く)

 

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