2021/07/07
尼子経久像(安来市・三日月公園)
尼子経久の略歴
尼子経久の像には、
次のように彼の略歴とも言える
功績が記されています。
「尼子経久(1458~1541)
応仁の乱は全国を戦国争乱の世に変えた。
そのころ尼子氏は
出雲国守護代の職にあった。
父清貞の跡を継いだ経久は、父を超えて
戦国大名への道を歩み始めた。
一時その地位を追われたが後に回復し、
またたくまに出雲国を平定し、
ついに山陰・山陽にまたがる
(現在の島根・鳥取・広島・岡山の
各県と兵庫県の一部)
十一州の太守と讃えられる大勢力を築いた。
経久は武将としての勇猛さと共に
神佛を信仰し(出雲大社の遷宮など)
人に優しかったとも伝えられていて、
優れた文化人でもあった。
実に六十年もの間、
尼子の繁栄を支えた。」
この文中後半の
「出雲大社の遷宮」に関わり
尼子経久が寄進したものが
現在も2つ残っています。
一つは、1527年建立の三重塔。
これは江戸時代初期、
寛文七年(1667)の遷宮で
兵庫県養父市の名草神社に移築され
国の重要文化財となり
二つ目は、1515年に寄進された
平安時代鋳造の鐘楼の鐘で、
福岡市の西光寺に移設され、
国宝となっています。
この2つ、まだ見たことはありませんが、
差し当たって、ご近所の西光寺には、
行ってみたいものですね。
三日月公園
安来市立歴史資料館を出ると、
雨は本格的に降ってきましたが、
銅像を見るだけなので、
あまり気にせず行ってみることに。
そして、車で2分ほどで
銅像のある三日月公園に到着。
「ひろせ観光マップ」
かなり年季が入っていますが、
初見参の僕には有効です(笑)
三日月公園から月山富田城を臨む。
石にはめ込まれた案内版。
こちらはお城とは反対側の風景。
富田城の西側の風景。
そして、この案内版の真ん中に立つ
尼子経久の銅像へ。
尼子経久像遠景。
今まで見た武将の銅像でも
上位に入るカッコよさですね!
石垣風の台座には、
冒頭に書いた略歴板が
はめ込まれています。
簡潔な文章と分かりやすい配色で、
老眼の僕にもしっかり読める
秀逸な略歴板といえます(笑)
この角度からだと
尼子経久さん、
さらにカッコいい~!
経久さん、
こんな顔の馬にも乗っていた?(笑)
(安来市立歴史資料館にて撮影)
右前からも撮影。
右横から。
陣羽織には平四つ目結の家紋。
室町時代、
守護の京極氏の配下で
守護代だった尼子氏も
親分と同じ家紋ですね。
(親分を追いやっていますが・・笑)
これにて、
尼子経久の銅像見学は完了です。