天橋立神社(京都府宮津市)
不思議な水でお手水
細い砂州になった天橋立。
ここには「真水」が出る
「磯清水」と呼ばれる井戸があります。
これが天橋立神社のお手水となっています。
塩分が何故ないのか?
不思議です・・・。
参拝前のあれこれ
ここには神社以外、
いくつかの見所があります。
ここは神社へのエントランスですが、
「磯清水推し」になってますね(笑)
神社前の大砲と妻。
与謝蕪村の句碑。
本参道
江戸時代まで、
智恩寺から船を使って
天橋立に渡っていた名残が
こちらの鳥居です。
阿蘇海の前に建つ鳥居。
神社の案内によると、
「鳥居の石材は花崗岩で形態は明神型、
「吉津村誌」によると
慶安四年(1651)の造立、
願主は智恩寺住持南宗他の
銘が記されているが、
鳥居表面の風香が著しく、
現在これを読むことはできない。」
このように書かれています。
鳥居一つに
このような詳しい記録が残り、
しかも
ちゃんと案内してくれるとは、
素晴らしいと思います!
海辺。
観光船から撮影した鳥居。
海から上陸した気分で
参道を進みます。
正面が御社殿。
磯清水
御社殿前を左に折れ磯清水へ。
右側の標柱も古そうです。
磯清水に到着。
「磯清水」
案内を抜粋すると
以下になります。
「この井戸「磯清水」は、
四面海水の中にありながら、
少しも塩味を含んでいないことから、
古来不思議な名水として喧伝されている。
そのむかし、和泉式部も
「橋立の松の下なる磯清水
都なりせば君の汲ままし」
と詠ったことが伝えられるし、
俳句にも「一口は げに千金の磯清水」
などともあることから、
橋立に遊ぶ人びとには
永く珍重されてきたことが
明らかである。
延宝六年(1678)、
時の宮津城主永井尚長は、
弘文院学士林春斎の撰文を得たので、
ここに「磯清水記」を刻んで建碑した。」
林春斎さんは日本三景生みの親、
だからここにも選文を寄せたのでしょうか?
「磯清水記」
文字面が風化もせず、
350年ほどの歳月を
全く感じさせないのには驚きますね!
磯清水でお手水完了。
「天橋立茶会」。
案内を書き出すと
以下になります。
「天正九年(1581)
細川藤孝・忠興父子が、
明智光秀や茶人の津田宗久、
連歌師の里村紹巴を招待して、
ここ天橋立で茶会を開催。
翌年、本能寺の変が起き、
この茶会は、
明智光秀の娘・ガラシャ(玉)にとって
父との最後の別れの場と
なったかもしれない。」
磯清水の水を使った
茶会だったのかな?
御社殿
次に御社殿へと向かいます。
社頭。
案内。
一部抜粋すると
「天橋立は江戸時代には
智恩寺の境内地であり、
天橋立神社も智恩寺に
属する神社であった。」
要するにお寺主導の
神仏習合だったのでしょう。
本殿へ。
本殿正面。
本殿側面。
参拝。
最後は、いつものこれで(笑)
参拝は完了です。