智恩寺(京都府宮津市)後編

 

知ではなく智

初歩的な間違いですが、

「智」恩寺を、

「知」恩寺だと思っていました(汗)

前編中編のブログをアップ後、

後編に差し掛かった所で、

ようやく

「智」だった事に気づき訂正。

現地の案内板もたくさん見たのに

全く頭の中をスルー・・・

これが忍び寄る

老化現象で無いことを祈りつつ(笑)

今後は気を付けることにします。

文殊堂

参道の右と左の見所を堪能したあと、

ようやく参拝へ。

まずは智恩寺の主建物、

文殊堂の案内から。

実は、

ここには書かれていない

僕的に(笑)興味深い事が、

智恩寺のサイト

掲載されていますので、

そちらを引用します。

「江戸時代に宮津城の城主

京極高国きょうごくたかくにによって

改築されましたが、

中央の四本の柱はそれ以前の

元の建物の柱をそのまま使用しており、

鎌倉時代にここを訪れた人々が書いた

文字が残されています。」

ここで、四本の柱に

文字が刻まれている事に注目!

九州熊本県天草の

富岡城近くの鎮道寺には、

勝海舟の落書きが、

本堂の柱に残されていると言う

事例もありますので、

僕の勝手な推測ですが、

こちらも

価値ある落書きなのかもと思うと

ますます智恩寺にロマンを

感じてしまいます!

文殊堂へ。

狛犬さんもいらっしゃいます。

まずは線香に火を付けるのですが、

これが、なかなか付かないし、

めっちゃ熱いので、

妻の顔も引きつり気味ですね(笑)

きっと「コツ」があるのでしょう!

香炉の先から参道を振り返ると

江戸時代以前を思わせる

素敵な風景が広がっています。

鰐口を鳴らして参拝へ。

参拝。

文殊堂斜から。

お堂の周囲は、

まるで水面のような文様が

瓦を縦に並べる事によって

設られて、何とも

素敵な見栄えなのです!

真横から。

文殊堂前にてツーショット完了。

艶やかなお地蔵様

文殊堂向かって左手には、

ちょっと艶やかなお地蔵様たちが

いらっしゃいます。

参拝。

弘化二年(1845)奉納の賽銭箱。

大切にされている感が満載で、

皆様から

本当に大切にされているんだと

納得です。

お堂

名前がわからないお堂です。

綺麗に手入れされていて、

思わず吸い込まれました(笑)

参拝。

霊木 文樹

文殊堂向かって右側には、

古い御神木がそびえています。

地面と幹が一体化して、

見ただけでパワーを貰えそう!

由来。

案内を書き出すと

以下になります。

「智恩寺の霊木「文樹」は文殊に通う。

名称で「文」を「かざる」と読む。

人生を智恵で飾る者に幸いが訪れる。

天も地も 海も山も 野も川も 人も

創り主に生かされている。

生かされている恩を知る者を

最高の尊者と言う。

ちなみに「文樹」は

タモ又はタブの木と称し

その樹液は霊気を発し上質の線香作成に

用いられるものである。」

智恵を授かる妻。

果たして

人生を智恵で飾れるのか?(笑)

智恵の輪

境内地の海岸沿い、

観光船のりば近くの海に建つのが、

智恵の輪です。

まずは灯籠に参拝。

「智恵の輪」

文章を抜粋すると

以下になります。

「この石造の輪を、

「智恵の輪」と言う。

古来、舟航の安全にそなえた

輪灯籠で、享保十一年(1726)、

貝原益軒の著した「扶桑名勝図」の

一冊として刊行された

「丹後与謝海天橋立之図」中、

「天橋立知恩寺」海岸に、

すでにこの輪灯籠が見られるから、

その由来は甚だ古いと

言わねばならない。

この輪灯籠をなぜ「知恵の輪」と言うかは、

いろいろと説があって

明らかではないけれども、

遠い昔から

智恵の文殊さまの境内にあって、

その「九世の渡」の

安全を守ってきた輪灯籠が、

そのまま文殊さまの慈悲の光を

海上に放つものと見る昔の人々が、

これを文殊さまの

「智恵の輪灯籠」と呼び馴れるのは、

きわめて自然のことであった。」

文章を読んで

めっちゃ絵図が見たくなり、

ここで、繰り出す必殺技(笑)は、

「国会図書館デジタルコレクション」。

調べると、

丹後与謝海天橋立之図がありました!

こちらは

「丹後与謝海天橋立之図」の

一部分で、

知恩寺は真ん中あたリに描かれ、

智恵の輪灯篭は、

ズームするとよく分かります。

拡大図。

智恵の輪灯籠が、

海の中に描かれています。

しかも現在手水鉢として使われている

鉄湯船も今と同じ

三門(山門)入って左側の位置に

しっかりと

描かれているではありませんか!

こちらが手水鉢として使われている

鎌倉時代に造られた鉄湯船で、

300年前には「手水鉢」として

使われていたことも

この絵図で確認できました。

「養生訓」で有名な

黒田藩(福岡県)の貝原益軒さん、

ここ丹後でも、

実にいい仕事していたんですね!。

貝原益軒さん夫妻のお墓は

福岡市の金龍寺にあるので、

ご近所なんですが、

僕たちはまだ参拝していません(汗)

やはり今回のお礼も兼ねて、

行かねばです!

智恵の輪灯籠を

顔出しパネルのように使って

楽しんでしまった僕たち(汗)

しかもお賽銭も忘れたし、

果たしてどんなご利益が

あるのやら・・・

いや無いのか?(笑)

今日の智恵比べ

文殊堂に掲げてあった

「めっちゃ難解な問答」。

正直、何も分かりませんが、

文政元年に書かれたものを

復元?されているようです。

智恵を授けるお寺なので、

いずれ僕も回答できる・・・かな?(笑)

 

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