砲台跡(福岡県宗像市)

 

感謝と哀悼の地

戦争とは人が死ぬ事を意味しています。

なので、勝利しても負けても、

悲しむ家族はどれだけいるのかさえ

分からないほどでしょう・・・

「砲台跡」には2つの戦争が関わっています。

一つは、日露戦争の日本海海戦での

日露双方の戦死者の慰霊の場所として、

そして、もう一つが、

大東亜戦争(太平洋戦争)時に備える

日本軍の砲台陣地が

構築された場所としてです。

日露戦争の勝利があればこそ、

白人の植民地にされず、

日本が国際舞台に於いて認知され

西欧諸国と並び、

強国の道を進むことが出来たのは、

間違い無いことです。

そして、今の平和な日本があるのは、

国土の多くが廃墟になりながらも

大東亜戦争で死力を尽くして、

戦い抜いた結果があるからです。

そんな偉大な御先祖様たちに

感謝と哀悼を捧げる場所、「砲台跡」。

後世に残し、子ども達に伝えていきたい

大切な戦争遺跡と言えるでしょう。

砲台跡へ

沖津宮遙拝所バス停から

再びグランシマール(バス)に乗車。

バスの運転手さんは女性で、

大島観光のこの路線が出来てから

ずっとここに勤務しているそうです。

だからなのか、

狭い道ばかりでも慣れたもの、

安心の運転で、

僕たちを運んでくれます。

僕たち以外は誰もいないので、

貸し切りバス状態ですね(笑)

砲台跡に到着。

バスで来られるのはここまでで、

この後、バスはUターンして、

遙拝所、大島ターミナル方面に戻ります。

明治38年(1905年)、

日本海海戦で亡くなった方々の

慰霊碑建立に寄せた言葉。

ロシア、日本の巨大な地図の先に、

慰霊碑が見えています。

日露両国兵士の慰霊碑。

合掌・・・。

天気の良い日は、

ここから見える沖ノ島の案内。

遊歩道案内図。

この案内を見て、

島の東端、大島灯台までは

遊歩道を使うことにしたのですが、

思わぬ難関が待ち受けているとは、

この時はまだ予想もしていません(笑)

指揮所跡

次にここの名前にもなっている

「砲台跡」に向かいます。

まずは、その「指揮所」を見学。

何だか古墳っぽい(笑)

指揮所入口。

今まで見てきたのと同じような

「指揮所」の風景ですね。

ここから海を見張っていたのでしょう。

これでは海賊が望遠鏡を

覗いているみたいですが、

何かを発見したようです(笑)

「前方に敵発見!」

ではなく、

「風車発見!」でした(笑)

弾薬庫跡

指揮所の地下には弾薬庫があります。

外側から見た指揮所。

この指揮書の地下に行くには、

一端外に出て、さらに深い場所にもぐります。

弾薬庫入口。

各部屋は相当に分厚い扉で、

厳重に作られていますね。

佐賀の幕末維新博覧会で体験した

銀行の大金庫を思い出します。

空襲にもかなり耐えそうな

コンクリ&鉄の要塞の内部です。

砲台跡

実際の砲台跡へ行ってみます。

いくつかある砲台はそれぞれ

遊歩道で繋がれています。

もちろん戦時中は遊歩道なんて、

あるはずもないでしょうが(笑)

1つ目の砲台跡。

後から訪問した大島交流館の

砲台跡の案内が分かりやすいので、

ここに貼っておきます。

海上航路を保護する目的で

建設されたそうですが、

航空戦が主になった戦争において、

この砲台が果たした役目は

何だったのでしょうか・・・

砲台跡から見た指揮所。

上下の二重構造がよく分かります。

2番目の砲台跡。

ここにはベンチまで完備されていて、

のどかなハイキングの

休憩所となっています。

3番目の砲台跡。

ここからは風車展望台も

見えていますね。

風車展望所

砲台跡からほどない

海側の先に風車展望台はあります。

何だかオランダっぽい?(笑)

道の両脇の柵よりも高い位置に

有刺鉄線が張り巡らされているのは、

少し前まで、このあたりは

牛の放牧場所になっていたからでしょう。

風車展望台。

風車前の展望所。

ちょっと眠たくなった僕たちは、

このベンチで一休みして、

大島灯台を目指すべく、

遊歩道に向かいます。

 

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