小堀鞆音誕生地(栃木県佐野市)

 

ガイドさん情報

小堀鞆音(こぼりともと)という人、

田中正造生誕地墓所にお参りするまで

全く知りませんでした・・・

墓碑の案内に、

「この碑の蓑笠姿の正造翁は、

(地元)小中出身の画家

小堀鞆音の描いたものです。」

このようにあったのですが、

正直言えば、

読み飛ばしていました(汗)

本当に知ったのは、

田中正造旧宅のガイドさんのお話です。

こちらがその墓碑です。

蓑笠姿の田中正造さん。

こちらは館林市の

田中正造記念館で撮った墓碑の拓本で、

絵の細部までよくわかります。

旧宅のガイドさんから

「この絵を描いた小堀鞆音は、

画家として優れた方で、

生家跡が、ここ(田中正造旧宅)の

すぐ近くにあるんですよ!」

と教えていただいたので、

旧宅を出てすぐに行く事に。

これが、未知なる小堀鞆音画伯に

引き込まれた瞬間です(笑)

生家跡

田中正造旧宅から小堀鞆音生家跡までは、

ほんの100m位です。

田中正造旧宅(右)の5軒先くらいかな?

あっという間に到着。

生家跡。

左端からも撮影。

顕彰碑

右奥に建つ、顕彰碑へ。

石玉垣に囲まれ、

立派なものですね!

「小堀鞆音誕生地」

以下、全文です。

「小堀鞆音画伯は元治元年(1864)、

幟絵師須藤晏斎の三男として

この地に生まれ、

幼少にして学を好み、

卓抜した画才を発揮し、

長兄早逝後は特に家族

縁者の期待するところ大きく、

長じて近くの親戚小堀家再興のため

養子となるも、

画道追求の念止み難く、

遂に郷関を出て上京して

時の歴史画家川崎千虎の門に入り、

刻苦勉励して大和絵を極め、

正確な考証を専らとする

歴史画に新分野を開き、

岡倉天心の傘下にあっては

横山大観、下村観山等と

日本美術院を創設し、

美術学校助教授時代には

「武士」「常世」等の名作を世に遺し、

後に帝室技芸員、帝国美術院会員、

美術学校教授、文展 帝展の

審査員を歴任すると共に、

後進の育成に力を注ぎ、

安田靫彦、川崎小虎を初め

多くの俊秀をその門から輩出させ、

「日本歴史画の父」と仰がれました。

また、少壮より亀田桜園に師事して、

国学を修め、

皇室尊崇の念厚く、

明治神宮聖徳記念絵画館には

敬神崇祖の念強く、

近くは人丸神社に柿本人麿蔵、

蒲生神社に蒲生君平像、

日光東照宮には東照公以下、

三公像を奉納し、

遠くは近江沙沙貴神社に佐々木高綱像、

大和法隆寺に聖徳太子像、

河内の観心寺に大楠公、小楠公像、

備後の吉備寺には吉備真備像等、

全国各地の神社仏閣に御神像や

先哲遣賢の肖像を数多く遺し、

我が民族の美しくもまた豊かな文化を

今日に伝えており、

その業績はまことに偉大で、

私たちの強度の誇りであります。

昭和六年十月、画伯逝去の際には、

多年にわたる画伯の功績が認められ

勅使が差遣され、

特旨により位一級を上進し、

正四位勲三等が霊前において

授けられました。

然しながら、

その後は国を挙げての戦争の時代となり、

画伯の偉業も影を潜め、

戦後は歴史観が一変してその功績は

顧みられること少なく今日に至りましたが、

戦後半世紀を経てようやく我が国の歴史が、

正視されようとする気運になって来た

平成五年、郷土の有志と相図り、

小堀鞆音画伯顕彰会を設立し、

画伯の御令孫小堀桂一郎東京大学教授、

毛塚吉太郎佐野市長を初め

二十二名の顧問の方々の

ご指導を仰ぎながら、

三百余名の会員各位の真摯な活動により、

社会の多くの方々に画伯の偉業を

ご理解いただくことができました。

幸いにして、平成七年、画伯生家跡地に

用地を確保することができましたので、

ここに画伯の顕彰碑を建立し、

永くその偉業を後世に伝えると共に、

郷土後進の興起発奮に

資することを念願いたします。

平成八年十月吉日

題字 画伯嫡孫文学博士

東京大学名誉教授 小堀桂一郎書

碑文 小堀鞆音画伯顕彰会会長

池澤嘉夫書」

鞆音さん、素晴らしい経歴ですね!

明治神宮聖徳記念絵画館は、

一般的に「絵画館」と呼ばれ、

絵画館前の銀杏並木ととに

テレビでもよく出る場所です。

Wikipediaによれば、

絵画館には小堀鞆音の作品が三点あり、

その一つ、「東京御着輦」は、

制作途中で没した鞆音の大下絵を元に、

息子達の手で完成された作品で、

明治100年記念として発行された

記念切手の図柄のうちの一つに

採用されていると記されています。

名前しか知らなかった絵画館、

明治天皇の業績を

絵画で紹介している施設ということで、

とても興味が湧いております(笑)

そしてもう一つ、

以前沙沙貴神社に参拝したのですが、

小堀鞆音の佐々木高綱像の事は

全く知りませんでした・・

そう思うと、

こちらもまた参拝したくなりました(笑)

何かと触発してくる鞆音さんとの出会い、

ご縁を結んでくださったガイドさんに

心から感謝しています。

 

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