伊能忠敬旧宅(千葉県佐原市)外観

 

引くて数多

明治初期ごろまでの日本では、

家名存続・家業繁栄のための養子縁組が

当たり前のように行われています。

従って、

家督を継げない優秀な二男、三男などは、

恐らく引くて数多だったのでしょう。

これは武士・町人・百姓など、

身分を超え「実力」さえあれば、

人生は切り拓けるという

一つの縮図でもあります。

日本地図を作った伊能忠敬もそんな

「優秀な二男」の一人で、

漁村に生まれながらも

商家である伊能家の婿養子となって、

商売でも大成功しています。

身内からではなく、

優秀な人物をスカウトしてきて、

会社(家)を継がせ、

繁栄に導くというシステム、

昔の人はよく考えていますね!

外観散策

伊能忠敬旧宅、内覧の次は、

外観と周辺の散策へ。

まずは案内などを書き出してみます。

「日本遺産「北総四都市江戸紀行

・江戸を感じる北総の街並み」

「商家の町「佐原」」

「国宝 伊能忠敬関係資料 2345点」

「伊能忠敬(1745〜1818)は、

上総国山辺郡小関村

(現、九十九里町)に生まれ、

17歳で佐原村(現、香取市)の

伊能家に婿入りし隠居後、

寛政12年(1800)から

文化13年(1816)にかけ

10次にわたって測量隊を統率して

日本全国を測量し、

国土の形状とその地球上の位置を

最初に図示しました。

本資料群は地図・絵図類、文書・記録類、

書状類、典籍類、器具類からなり、

忠敬の学問、地図制作の

具体的方法のみならず、

生涯の事績を多面的に伝えるものです。

その一部は、

伊能忠敬記念館で公開しています。」

国宝が2345点とは莫大な数ですね。

一人でこれだけを生み出したとは、

忠敬さん、もはや超人ですよ!

しかも「2・3・4・5」なんて、

めっちゃ覚えやすい数字です(笑)

そして、文中の

「上総国山辺郡小関村

(現、九十九里町)に生まれ」

この部分ですが、

全くの偶然にもその「生まれ故郷」を

ここに来るほんの3時間ほど前、

成田空港着陸直前の機上から

空撮していたのです!

富士山に気を取られて(笑)

撮影時には気にしていなかったのですが、

海岸線左側の堤防が見える港、

「片貝漁港」の周辺が、

昔の上総国山辺郡小関村です。

Googleマップで

「九十九里町小関」を表示してみました。

今まで何回も成田に飛んできたのに、

初めてこんな写真を撮ったなんて、

やはり伊能忠敬さんが、

呼んでくれたのに違いありませんね!

伊能忠敬が残した家訓。

これはパンフレットの方が、

より分かりやすいので、

そちらを書き出します。

「家訓書」

※伊能忠敬が寛政三年(1791)に、

長男景敬にあたえたと伝えられる家訓。

【現代語訳】

「第一

かりそめにも人をあざむく事をせず、

親に孝行 兄弟仲良く、

人には真心を尽くし、正直にしなさい。

第二

目上の人は勿論のこと、

目下の人のいう事でも、

なる程と思ったら

取り入れるようにしなさい。

第三

あつく敬い、へり下るというように、

物の言い方や動作をこせこせせず、

総べての事につけて

へり下り慎み、

決して人と争いなどしてはいけません。

亥年9月21日」

人類皆この家訓を守りさえすれば、

平和な世の中が続くはずです・・

「商家の町「佐原」」

近辺の紹介などがされています。

この後は外観散策です。

炊事場横から書院(母屋)、

西側の土蔵周辺、用水路などの順に巡ります。

炊事場外観。

窓の中には内覧時に見学した

象眼儀しょうげんぎ(中)」が見えていますね。

中門から書院(母屋)へ。

書院(母屋)近影。

書院(母屋)正面。

妻が屋根瓦の州浜紋を発見!

伊能家の家紋なのでしょうか?

書院の中。

反対側から。

伊能忠敬像と測量の日記念碑。

碑文。

「元号が平成と改められ本年六月三日が

はじめて「測量の日」として制定された。

折しも佐原市では実測により最初に

日本沿海輿地全図にほんえんかいよちぜんず」を完成された

伊能忠敬先生を敬慕する

気運が高まると共に

活力のある町づくりのテーマとして

「地図のまち佐原」を掲げて佐原市と

(社)佐原青年会議所等諸団体が

一丸となって二十一世紀に向け

大きく飛躍しようとしている。

この碑は先人伊能忠敬先生を

顕彰すると共に

「測量の日」の制定を記念して

すべての市民が時代の進運に呼応し

市勢の伸長を念願して建立する物である。

碑は佐原ライオンズクラブが

その結成二十五周年を祝して寄贈し

デザインは

伊能家当主武蔵大学教授、伊能敬氏と

洋画家、伊能洋氏によるものである。」

なんと「伊能コンビ」で、

この記念碑をデザインしているのですね!

ご先祖様も偉いけど、

子孫の方も偉い人なんだ〜(笑)

銅像。

上半身アップ。

めっちゃ優しいお顔ですね。

土蔵。

以下案内の全文です。

「土を厚く塗り、

漆喰で仕上げた壁を持つ

耐火性の高い倉庫で

江戸時代中期に建てられました。

主に穀物類や家財道具を

収納していましたが、

後にこの土蔵には伊能忠敬に関連する

資料などが収蔵されていました。

木造切妻づくりで桟瓦葺の屋根を持ち、

桁行7.28メートル、

梁間4.53メートルの

土蔵造りとなっており

観音扉より古い様式である

引き戸の扉となっています。

昭和五十八年(1983)からの

解体工事で、

内部の板壁裏面に

文政四年(1821)・同五年と

記された修理墨書銘などが

確認されています。」

確かに引き戸の扉は珍しいような・・・

土蔵斜め後方から。

土蔵横の農業用水路。

以下案内全文です。

「江戸時代、小野川の上流に

堰をつくり下流の田に水を送る

農業用水路として使われました。

用水路の水は、旧宅前にかかる

樋橋(ジャージャー橋)によって

東岸から西岸へと

水の立体交差をして運ばれました。

市内に残る狭い路地のいくつかは、

使われなくなった用水路を

埋め立てて道路としたものです。」

ここで初めて先に見ていた

水が流れる橋の名前がわかりました!

確かにジャージャー流れてます(笑)

小野川沿いの風景

外観を見学後、

旧宅前の小野川沿いの散策へ。

旧宅(右)前のジャージャー橋(樋橋)。

ジャージャー橋近影。

僕はジャージャー橋のネーミングに

どハマりです(笑)

橋からの風景。

対岸から。

伊能忠敬旧宅と船着場とジャージャー橋。

ここでツーショット完了。

マンホール蓋も小野川かな?

 

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