旧滝沢本陣(会津若松市)
無人料金所
野菜の無人販売所が成立するのは、
買う側への信用があるが故のこと。
そして、旧滝沢本陣も
野菜と同じく、
料金所は「無人」です(笑)
未来永劫、こんな「信用取引」が成立する
素敵な日本であって欲しいものですね!
パンフレット
秀逸なパンフなので、
これを見ると、
ほぼ滝沢本陣が理解できます。
滝沢峠の入口にあるから
滝沢本陣というようです。
「旧滝沢本陣は、一六七八年(延宝六年)、
滝沢組郷頭を務めた
横山家の住居として建築され、
その後は、歴代会津藩主が
参勤交代や、藩祖保科正之公を祀る、
土津神社の参詣に出向く際の、
休息所として使用されておりました。
戊辰戦争の際、
時の藩主松平容保公の出陣により
本営とされ、
白虎隊もここで出陣を命じられました。
座敷には、当時の戦闘による弾痕や、
刀傷が、今でも生々しく残っております。」
間取図。
やはり戊辰戦争の痕跡、
弾痕・刀傷が気になります。
外観
天寧寺で萱野権兵衛、郡長正、
近藤勇の墓を参り、
そこから約5分で滝沢本陣に到着。
茅葺き屋根がいい感じ!
正面へ。
冠木門からお邪魔します。
御本陣外観。
内覧
殿様じゃないので、
勝手口からの入場です(笑)
中へ。
冒頭に書いた無人料金所。
妻はちゃ〜んと賽銭箱・・・
じゃなくって、
料金箱に投入しております(笑)
江戸時代感満載の内部。
柱がゴツい!
紙に書かれた
墨書きの案内が渋いですね〜!
「会津藩と旧幕府軍で5千人、
西軍(新政府軍)は、三十六藩で、
人数は数万、
しかも最新式のアームストロング砲を
鶴ヶ城に撃ちまくった結果は、
会津藩の降伏です。
その後の改易から、
斗南藩としての青森移転など
会津の苦難の道は続くのです・・・」
端折るとこんな感じかな?
白虎隊はじめ、
会津藩と共に戦った藩や隊の名が、
しっかりと書かれています。
会津藩降伏後も
山形県の寒河江で最後まで戦った、
後に日露戦争で活躍し、
陸軍大将になった立見尚文率いる桑名藩、
藩の方針に反して参加した
郡上藩の凌霜隊の名も見えますね・・
ここからは、
戊辰戦争の傷跡探しです。
お〜いきなりこれは凄い!
アップにすると
柱を貫通しているのが
分かります・・
鉄砲の弾痕。
刀傷、弾痕のオンパレード。
柱の刀傷。
ザックリいってます(汗)
当時の戦闘を彷彿とさせる
凄まじい迫力、
是非このまま残して欲しいものです。
真ん中の案内には、
「鶴ヶ城老杉
戊辰の戦役で、西軍の砲撃を受け
砲弾を撃ち込まれたお城の老杉です。
破片を残しています。」
このように書かれています。
手前が御次之間、
奥が御座之間。
ここにも弾痕が・・・
御座之間から見た中庭、「遠州流庭園」。
中庭とは反対側から見た
御次之間、御座之間の建物で、
この左端にあるのが、
風呂とトイレです。
「歴代藩主ご使用の湯殿・御厠」
エントランス。
湯殿。
トイレ小用便器。
同じく大便器。
ここまでで旧滝沢本陣の散策は終了し、
残るはこちらのみ・・
妻のポーズ、何だったっけ?
忘れた〜(汗)