郡上八幡城(岐阜県郡上市)(5)

 

会津若松にて

郡上八幡城を訪問した2週間前、

僕たちは会津若松へ行き、

飯盛山に眠る、

白虎隊士の墓にお参りしました。

そのお墓から、

白虎隊自刃の地に向かう途中、

偶然見つけたのが、

「郡上藩 凌霜隊りょうそうたい之碑」です。

桜の木の下に配置された石碑。

戊辰戦争において、

新政府軍に味方した、

郡上藩の方針とは逆に

旧幕府軍として忠義を貫いた、

郡上藩士たちの慰霊碑です。

「道ハ一筋ナリ

副長 速水小三郎」

「此の碑は戊辰の戦いに

会津侯を盟主と頼み各地に転戦して

若松城の籠城戦に参加し白虎隊と共に

奮戦死闘した

美濃國郡上藩、凌霜隊の事績を偲び

且つその霊を慰め

永くこれを後世に伝えるため

郡上の石で群民等の浄財によって

建立したものである。」

このように書かれています。

郡上八幡城へ旅する前に

こんな出会いがあるなんて・・・

やはり凌霜隊の皆様がここへ

呼んでくださったのだと

感動しきりでした・・・

凌霜隊の碑

天守内部を見学後、

凌霜隊の碑へと向かいます。

天守南側へ。

案内。

「凌霜」とは、

霜を凌いで咲く菊のような

強固な操の信念を意味する言葉で、

青山氏の葉菊紋に由来します。」

このような一文があります。

藩主青山氏の方針と真逆の行動をとった

凌霜隊も藩主への忠誠に変わりはなく、

究極の選択の中、

どれほど辛い思いをして

会津に向かったか・・・

名前の由来を知ると

さらに

胸が締め詰められます・・・。

天守南側の郭へ。

「凌霜の森」

奥には天守がそびえています。

凌霜隊の碑と天守。

慰霊碑に参拝。

「道ハ一筋ナリ 小三郎」

会津若松の石碑と同じく

副長、速水小三郎の言葉です。

「道ハ一筋ナリ」

この一言だけで、

凌霜隊全て方々の思いが

伝わってくるような・・・。

「凌霜隊略記」

要約すると以下になります。

「江戸在番の郡上藩士

四十五名は徳川家の恩顧に報いるため、

弱冠十七才の朝比奈茂吉を隊長に脱藩して

会津若松城で籠城し、

白虎隊と共に西出丸を守ったが、

降伏しその後、郡上へ護送され、

謹慎を命じられた。

自由の身になったのは、

明治三年のことである。」

凌霜隊が守っていた

会津若松城の西出丸、

今では駐車場になっていて、

その西出丸から天守を見ると

こんな感じです。

ライトアップされた天守。

今の平和な会津若松城があるのも

ここで天守を背にして戦った

凌霜隊、白虎隊のみなさんが

歴史を紡いでくださったお陰でしょう。

隊長以下、隊士の名前。

最後には武士の雑用係であり

名字を持たない、

「中間(ちゅうげん)」も

6名参加されたことが

記されています・・・。

下城

凌霜隊の皆様への参拝で、

お城の散策は完了。

ここから下城。

石段で下へ。

石垣の多くは、

稲葉さん時代のものだそうですが、

戦国時代を彷彿とさせる

野面積みの素朴さが、

このお城の雰囲気を

さらに盛り上げてくれています。

今日の藤棚

駐車場に戻り、

車に乗り込む前にもう一枚(笑)

藤の花、満開でした〜!

 

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