両子寺(大分県国東市)後編
懸造り建築物の宝庫
京都の清水寺や、
鳥取県の投入堂(なげいれどう)をはじめ
岩肌や断崖絶壁を利用して
建てられる「懸造り」という構造の
造形美溢れる建築物は、日本各地の
寺院や神社に存在しています。
ただ、九州には懸造りが、ほとんど無く、
唯一、大分県、
わけても国東半島とその周辺だけに
一極集中して建てられており、
国東半島は、
まさに「懸造りの宝庫」でもある訳で、
その中の一つが、両子寺の奥の院です。
稲荷大明神へ
道祖神の縁結び絵馬に癒された後は、
いよいよ奥の院へと向かいますが、
その前にもいくつかの
仏様、神様はいらっしゃいます。
一枚岩の橋。
ここを渡り直ぐ右にあるのが、
赤い鳥居です。
まさに神社ですね!
稲荷大明神なので、神様です。
隣に鎮まるのは、
三面出世大黒天。
その名の通り、大黒様の像が、
三体いらっしゃいました。
神仏混合の世界。
ここからはまた、石段です。
そして、両脇には仁王像が!
阿形。
吽形。
石段の横にはミニ国東塔?が並んでいます。
大講堂。
揮毫は、大僧正というから
最高位のお坊様が書かれています。
大講堂全景。
平成三年の再建。
本尊の阿弥陀如来像は、
鎌倉時代の作品です。
新しいものとは思えないくらいの
なかなか渋い建物です。
これから数十年すると
より一層味が出るかも?
色々な石仏。
国東塔。
この国東塔は、
鎌倉期の造立と書かれています。
奥の院へ
ここからは、
いよいよ両子寺のクライマックス、
(大袈裟すぎか?笑)
奥の院へと向かいます。
まるで神社ですね。
神額には、「両所大権現」の文字。
この雰囲気、
神仏混合のお寺の面目躍如です。
灯籠や狛犬も神社然としています。
狛犬は慶応二年の寄進。
吽形。
「發願 重光由齋」と書かれているので、
もしかして外務大臣で、終戦時、
日本の全権として降伏文書に調印した
地元出身の重光葵(まもる)と
何か関係があるのかと調べたら
由齋さんは、重光葵の曾祖父でした。
前編で書いた財前直見の祖先といい、
この重光家といい、両子寺、
思わぬ発見をさせてくれる
ミラクルなお寺です(笑)
別世界への入口。
参道脇には、巨大な摩崖板碑があります。
この説明によると
追善供養のものです。
摩崖板碑の前には国東塔が見えます。
南北朝時代の作。
石段を登りきると
奥の院が見えてきます。
奥の院と遂にご対面(笑)
立派なお堂(社殿?)ですね。
建物の下は崖なので立ち入りが出来ず、
正面からの撮影は出来ません。
参拝。
そして、岩にへばりつくように
建てられている奥の院は、
建物からその岩へと入ることができます。
「奥之院岩屋洞窟」入り口。
岩だ~!
岩をくり抜いて置かれた
千手観音様にご挨拶。
もちろんここでツーショット。
松平候内室の墓
奥の院から少し戻ると
こんな案内を発見。
道なき道ですが、
行ってみました。
お墓には国東塔もありますね。
こちらは元禄四年、
西暦1691年のお墓です。
国東塔アップ。
ここから、駐車場まで下り、
両子寺の参拝は完了です。
今日のしんみり
稲荷大明神の前に並べられた
石仏たち・・・
みんな首を切り落とされて、
今は、頭の代わりの石が置かれています・・・
神仏分離、廃仏毀釈の嵐が吹き荒れた、
明治時代の面影は、
平成から令和になろうとも
永く残っていくのでしょう・・・
なんだかしんみりしてしまいます・・・